お詫び

a0249049_17334448.jpg

月を作ったつもりでしたが、月の中にヘンテコな生き物が出来ました。



突然のお知らせで申し訳ございませんが、思う所があり、ブログを一旦お休みする事にしました。


今まで、私のブログを楽しみに読んで下さった方々、温かいコメントを下さった方々、本当にありがとうございました。

そして、急に決断をしてしまい、申し訳ございません。



今年は、自分でも信じられないくらい絵を発表する機会が増えました。

自分で無意識の内に選んでいる事が多く、気が付いた時には、手いっぱいの状態で、自分の頭も部屋もグチャグチャです。

作品発表を毎年たくさんされている方には、甘い、と言われそうですが・・・。



好きな事を今も続ける事が出来ていて、本当に幸せです。

でも、絵を一つ完成させる事は何より足がすくみます。
なぜこんなものを選び、続けているのか?といつもいつも思います。


魔物の尻尾を見た者は、その尻尾を一生追いかけないといけなくなるのです。
自分の闇を見せつけられるし、どうしても欠けている部分を認めさせられます。

人にどんなにアドバイスをもらっても、自分は自分の中と常に対峙しないといけないので、人の時間軸では上手く行かないのです。


自分のやり方を死ぬまで追求する事、ただそれだけが許されている様に思います。



いつ死ぬかも解らないし、世間では大きな地震が来るだのなんだのと言っているし、本当かどうかも解らない情報に乗せられて口にしないものとするものを分けたり、なんだかんだ・・・。



色は即ち空であり、空は即ち色である、という事を言った人のように、見えるものも見えないものも同じなのだという事が、誰にでも良く解るように成る為に、世界が移り変わって来ているように思えます。

それを本当に自分のモノにする為に、苦しい苦しい事がそれぞれに与えられている気がします。



『そんな事くらいで悩むなよ』

とか言われがちですが、自分の問題は自分にしか解く権利がないのです。





本当に突然の決断で申し訳ありませんが、また何か思う所があれば、ネット窓口を再開しようと思います。





自分の生きて来た年輪のようなモノを詳しく見れる機会があったら見てみたいし、植物や動物や自然を崇拝して生きていた人達の教えを請いたいと思って作った木版画を載せます。

(こないだは、赤毛のアンから発想したと簡単な説明でしたが、詳しく言うと、こうでした。)

a0249049_17184613.jpg


アイヌ民族や、南方熊楠や、赤毛のアンが、年輪の机で、何やら作業をしていそうです。

ま、なんの変哲もない下手くそな木版ですが・・・



ネット情報ゼロにして、油絵制作、あと一割の出来に力を入れます。

来月10月も、11月も、展示があるので、それに集中します。




私のブログを読んで下さった皆さん、本当にありがとうございました。

いつまたブログを書くかは全く未定です。


ただ、手と足と頭と心を使って、初心に戻る事にしようと思います。




ありがとうございました。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-09-12 17:45

秋の声

a0249049_21153391.jpg


夕方、今月末に参加するグループ展の案内の一部を郵便局に出して来ました。

しかし、なかなか案内状書きははかどりません。
まだ、3分の1程しか出来上がらず、とりあえず郵便局へ行きました。


もっと綺麗な字で、スラスラと文章や宛名が書けたら良いのに・・・といつも思います。





綺麗と言えば・・・

さっき試合が終わったサッカー日本代表。


私はサッカーのルールなんて殆ど知らないのですが、日本代表の試合は観るにわかファンです。

その男子日本代表選手のプレーが綺麗だなぁと思う事がよくあります。


なかでも、マンチェスターユナイテッドの K 選手のプレーが最近一番好きです

どこがどうという詳しい説明が出来ないですが、彼のプレーを見ていると、頭がクリアになります。



サッカーを観ていると、目が覚めます。

私は、歓声を上げたり、選手のプレーに対して盛り上がってみたりすることはないのです。

ただ美術館で作品を観ている様な感じで、じっくりと選手達の動きを目で追います。
意外と美術の勉強になるのです。

観察の練習です。




私は運動が苦手ですが、よく散歩をしたり、自転車でうろうろします。

動いている時の方が良いアイデアが浮かびます。



今日は夕方、郵便局の帰りに、公園に寄りました。

虫の声がたくさん聴こえ、夕闇に溶ける様でした。


虫は大の苦手ですが、虫の声は楽器では表わせない、スゴイ音をしていると思います。




体全体で、静かな秋の音を聴き、またいろいろ頑張ろうと思いました。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-09-10 21:40

メッセージ

a0249049_17305118.jpg

10㎝くらいの樹の枝と、植物が好きという人間が描く絵との差は途方もなく遠いと感じます。

アプローチをしても隔たりを感じる時が幾度もあります。




真っ直ぐに伸びる樹と、そうでない樹があります。
真っ先に目的地に向かう人と、絶対に目的地には敢えて行かない人もいます。

この場合、素直な人間とそうでない人間、というくくりにする事は出来ません。


誰しも、自分の思いに忠実に生きる事が与えられているからです。
どちらも、自分の思いに忠実な人間です。

行き当たりばったりでトラブルに遭う人。
どこへ行くと我を忘れてしまうのか、それを知っている人。
楽に成れるから良いと言われて、楽な方へ行く人。
楽では味わえないモノを既に見付けている人。

いろいろと、人のタイプは違います。


ブログには書けないくらいの事が自分にも周りにもあるし、好かれたいからとかいう理由で自分はもの作りをしている訳ではないという思いがあります。


私は自分の実名をブログでは出さないと決めているので、いくらかは自由に書けますが、最近は少々ネットと言うモノの怖さを感じます。







それはさて置き。

ついさっき、アニメーターの監督さんの会見を見ました。



街の人からは

『やめないでほしい。』

『寂しい。』

という声があがっていました。



私はと言うと・・・

全く寂しいという気持ちは抱かなかったです。


むしろ、

『そうだろうな・・・』

と思いました。


だって、こう言うと畏れ多いですが敢えて言うと、自分が彼だったとしたら限界を超えて死ぬまで馬車馬のように走り続けて、無惨な姿をさらすなんて嫌だ!!と思うと思います。

完璧に近いモノを生み出す為の労力が自分でも無くなって来ていると感じる事は、何よりも恐ろしい事でしょう。
自分の身から出た嘘を世に出す訳にはいかないのだから。



善意の塊のような人の  

『好きなので続けて下さい』

という声は、とても重苦しいものだったと思います。
同時に、一人になると、期待に応える事が虚しくなるような。


だからと言って、誰も悪くは無いのです。



ただ区切りを付けた事が、

『そうだろうな・・・』

と思えて仕方ありませんでした。




腐海の中の植物の種子を持ち帰り、自宅の綺麗な水で育て、その植物からは危険な物質を生み出す事無く、ただただ静かに美しく育つ事を発見したナウシカ。

さつきとメイの心に永遠に焼き付いた、トトロとネコバス。

キキが相棒のジジと話せなくなってしまった事。

ポルコ・ロッソの人間だった姿を、17歳の飛行機技師フィオという娘に瞬間的に見せた事。

ポニョがクラゲに乗って海の中から出て来た事。

そして、堀越の白い紙ひこうきを菜穂子がキャッチした事。



何百何千年という時間を、このシーン達は表していて、胸が潰れそうになります。




私の独断と偏見の感想となりましたが、今日はとても良い日となりました。



『ありがとう』



『おつかれさん』

そして、

『今度はご自身が様々なモノをゆったりと観て下さいね』

と監督に言いたいです。

時々はまた何かを作って頂きたいですが・・・。




目に映る全ての事はメッセージ。

a0249049_1852114.jpg

[PR]
# by matsu-komichi | 2013-09-06 18:55

名残

a0249049_2041485.jpg

木の葉っぱが地面に落ちていました。



この葉っぱの色は何色でしょうか??

単なる 緑色 でもなく、黄緑色 でもなく、 茶色 でもなく。

枯れ草色とでも言いましょうか。


否、単に枯れているだけの色ではないので、枯れと言うのは違います。

昭和枯れススキみたいに、時代を付けた名前にするべきでしょうか?
(否、どんどん趣旨が間違って来ています・・・)


残暑色とか、夏の終わりの思い出色とか。






色が世界には沢山あって、瞬きするのももったいなくなる時があります。





このブログのパソコン画面を見続けている事も目には良くないのですが、この時期になると何故か本を読みたくなります。

本も目が疲れるので、少しずつですが。



まだ日中は暑いですが、朝晩はだいぶ涼しくなったので、秋の予感がします。

なので、読書の秋を先取りです。



私が一番最初に読んだ単行本は 赤毛のアン でした。

中学一年の時に読みました。

中学に入っても私は小学校高学年の時の担任の先生と仲良くしていて、その先生に 赤毛のアン の本を頂きました。




それ以来、私は 赤毛のアン が大好きです。

赤毛のアンは10冊のシリーズになっています。
そのシリーズをまた読み返したりしています。

アンとギルバートが切なくて美しい・・・




私は不思議な事が好きなので、以前に読んだ、梨木香歩さんの 西の魔女が死んだ も読み返しました。

そして、梨木香歩さんの他の小説も読んでみたいと思い、からくりからくさ という小説を読む事にしました。


何となく読んでみたいと思ったのですが、冒頭からとても面白くてぐいぐい引き込まれます。

やはりピンと来る事はスゴイです。




私は、海外に住みたいとかいう気持ちが一切なく、やはり日本が好きだなぁといつも思います。

梨木さんの本に、日本の昔からの色の名前がいろいろ出て来て、その読み方も好きだなぁと思いました。



藤色。紅梅色。漆黒。珊瑚色。萌葱(もえぎ)。滅紫(けしむらさき)。


景色の中にあるもの凄い数の色のなかで、色の名前を聞くと

『ああ、あの色だなぁ・・・』

と思えて、色の記憶が蘇ります。




私は油絵を描いていますが、よく

『これって日本画ですか??』

とよく聞かれます。


『いいえ、日本画の材料は一切使ってないです。油絵ですよ。』

と答えます。



『じゃあ何故、油絵なのに日本画っぽく見えるのか?』

とも言われます。

『たぶん、私が普段日本の風景の中で、色や形を見ているからでしょう。』

と答えます。



油絵を習って来たのに、自分でも最近は日本画っぽいなぁと思ったりします。

でも、日本画の材料は一切使う気がなくて、油絵の具の塗り重ねる所が大好きです。


キャンバスにガシガシと描くのが泥臭くて手ごたえがあり、好きなのです。



でも、日本画っぽく見えるのです。

日本が好きだから仕方ないのです。



春夏秋冬があり、季節毎の行事があり、花や月を愛でたり、お箸で米粒を掴む事。

風のにおいで季節を感じ、目で移ろいゆく景色を追う。

頭にタオルを乗せ、湯船につかって、鼻歌を歌う。



私はどうしても日本に生まれて来たかったに違いありません。





この、夏から秋に変わろうとする空気の香りがたまらなく、それを肴に一杯、といった気分です。





しかし、本当は本をゆっくり読んでいる暇は無く、来月末の展覧会の油絵を仕上げないといけません。






あかあかと日はつれなくも秋の風。

この道や行く人なしに秋の暮。




芭蕉さん、素敵です。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-28 21:45

もがく事、磨く事

a0249049_22593316.jpg

深い緑を背景に、鮮やかな緑が映えます。




以前にもこのブログで書きましたが、私は宇多田ヒカルさんが好きです。

その彼女のご家族のニュースを聞き驚きました。



そのニュースを聞き、一番に思い浮かんだ歌がありました。

彼女の 【嵐の女神】 という歌です。




私はここ一番、とっておきの面白いネタを見付けた時、ある人に話したいと思ってしまいます。

その人は関西人でもないのに、お笑いが好きで、大阪の言葉をよく真似していましたが、全然関西弁になっていなくて、聞いてる関西人の私はしょっちゅう腹を立てて、

『もっと感情を込めてしゃべるんや!』

などと言って怒ったりして笑い合ってました。


時々、もの凄くその人と面白い話をしたくて仕方なくなり、ものすごく寂しくなります。

写真に話しかけても何も返事も無いし、部屋でひとりごとのように話している自分を虚しく思う事があります。




私は生まれも育ちも関西です。

普通に人と話していても、人が笑ってくれたりするので、

『ああ、自分は笑いの本場に生まれて良かったなぁ・・・』

としみじみ思います。



私の話で、大笑いしている人を見ると、自分も嬉しくなってつられて笑ってしまいます。

笑いは、人間の体にとっても良いもので、体の免疫力を高めたりします。
もっともっとたくさん、面白い話を友人にしてあげたら免疫力があがって元気になったのかもしれません。




笑いではないですが、歌もとても心をほぐしてくれます。

宇多田ヒカルさんの歌も、とても心に効くので、私は元気がなくなるとよく聴きます。


彼女の声は弦楽器の弦のようで、キリキリジワジワと胸の奥に響きます。

そんな彼女を産んで育ててくれた事への感謝を、衝撃的な事によって気付かされるなんて・・・・・・




一人でいる時、後悔や哀しみで押しつぶされそうになった時、何が救いになるのか?

もらうはずの暖かいスープがいつまでたっても自分の所に運ばれて来ない時、誰に思いをぶつけるのか?



そんな時、私はずっと自分を騙していました。
別になんてことない、と。


でも、いつの間にか、自分の知らない所でボロが出て、つまずいて、結局袋小路に陥っていました。


『ああ、悲しい。ああ、寂しい。』

ただそれだけの素直な言葉をかなり押しこめていたのでストレスが溜まり、人とギクシャクしたりしました。





宇多田ヒカルさんとは直接会ってお話する仲ではないですが、世間の事などは一切考えずに、自分の気持ちを言ったり叫んだり、泣いたり怒ったりを、どうか素直に出して欲しいです。



心をズタズタに切り裂かれた経験がある人は、その人の生きる為の道具をピカピカにしてくれると私は思います。

ある人は眼を。

ある人は声を。  

ある人は手を。


自分がその道具の加減に気付かなくても、必ず自分以外の誰かがそれに気付いてくれる気がします。




私も出来るだけ、気付いた事は人に伝えられる様になりたいです。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-24 00:04

種と風

a0249049_2235222.jpg


10日以上の猛暑日が続いています。
掃除の仕事で、あり得ないくらい汗をかくので、もう何度なのかどうでも良くなって来ます。



先週、京都のギャラリーで版画のグループ展をしていて、京都に行きました。


本当に暑い最中、ギャラリーに足を運んで下さった方々、ありがとうございました。

私がギャラリーに居ない時に、絵を見に来て下さった方には申し訳ございませんでした。
芳名帳に知った名前を見付けた時はとても嬉しく、有り難いと思いました。




先週の金曜はギャラリーに居ました。

一緒に受付当番をしていた方と話をしていて、ジブリの 【おもひでぽろぽろ】 の話になりました。



こないだ 【風立ちぬ】 を見たので、私の頭の中にはよく『ひこうき雲』が流れていたのですが、その方との話で、おもひでぽろぽろの挿入曲の『The Rose』が私の頭の中のBGMになりました。

英語の歌ですが、歌詞を調べたらすごく胸に響きました。


掃除の仕事中もその歌が頭の中に流れていて、大量の汗をかいているのに、心はとても静かになり、タエコが過ごした田舎の夕暮れの中に自分もいるようでした。


人とゆっくり話をすると、普段の生活からは出てこない様な言葉があり、キーワードがあります。

それを追うと、一番に自分に今必要なものだったりするので、嬉しい驚きです。




愛は花、君はその種子。




いろんなモノを受け取り、種は芽吹き花を咲かす。

そして、花が終わり種が出来、風が種を運ぶ。




お盆の季節、亡くなった人達は私たちの所に来られて、また向こうへ帰って行かれました。

私はこういう、見えない者と見える者との行事が好きです。


会いたい人や、話がしたい人は、見えないだけで、いろんなキーワードをくれます。

大きな手や、柔らかい手が自分の頭を撫でてくれなくても、それを含んだ風を吹かせてくれます。





愛は川のようだ。

愛はカミソリのようだ。



全てが一緒に流れているようだし、とても深く傷付く事があったり、誰にも言えない宝を見付ける事があります。


明日も、歌を心で歌って、頑張ります。





先週ギャラリーに出した作品達です。

また、解りにくいアングルの作品写真ですが・・・


a0249049_23313182.jpg


森がテーマの展覧会でした。

森・・・と言えば、
即座に 赤毛のアン を思い付き、アンが切り株の机でお茶をしているような感じで作りました。


版画は年賀状の季節まではしないので、一件落着です。

次は油絵・・・・・。
(来月の展覧会に間に合いますように・・・・・)
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-19 23:42

暑い日の考察

a0249049_0145893.jpg

連日、猛暑です。

夕方、樹の側に行くと、綺麗な夕焼けが迫っていて、木々をオレンジ色に染めようとしていました。

a0249049_0175389.jpg

a0249049_019117.jpg


自分の家に、大きな庭があって、こんな大きな樹があればいいなぁといつも思います。

夕方でも、暑さはあまり下がっていないのですが、植物を見た感じ心がホッとして、その日一日の暑さを和らげてくれます。



こないだ、ずっと気にかけていた人と話す事が偶然出来て、ホッとしました。

ホッとすると、気が緩み、水彩画の水張りを6枚家でしたのですが、1枚失敗しました・・・。
(水張りと言うのは、水彩用の紙を水で濡らして板で出来たパネルに糊の付いた紙のテープで貼り付けます。水彩で着彩する時に、紙が水彩絵の具の水分でボコボコに湾曲しない様にする下準備です。)

上手く行く事と失敗の連続です・・・。



でも落ち込む暇なく、次にする事がやってくるので、

『なんなんだ、今年の忙しさは・・・!』

と思ってしまいます。




こないだ、テレビに俳優さんが出ていて、俳優になったきかっけを話していました。

学生の頃からの夢破れて、何も無くなった時に、ふと、幼い頃に好きだった事を思い出して、その道へ進もうと思った、と言っていました。

それが俳優という仕事でした。

下積みの期間はありましたが、いざ俳優になると、トントン拍子で仕事が決まり、叶えたい事も何年か置きに叶って行ったそうです。



へぇ~すごいな~、と思いました。



そういや自分もちょっと似てるなぁと思いました。
長年作品を発表しなかったのに、急に表に出す事になったら、いろいろと自分でピョンピョンと飛び石に飛び乗っているなぁと。



岡本太郎さんは

『上手くあってはいけない。綺麗であってはいけない。心地良くあってはならない。』

と言っていたので、私もずっと、絵は売れたりするものではないし、お金に換算出来るものではないと思っていました。


美辞麗句で絵を褒めちぎったり、趣味で描くナントカ画、とかあり得ない!と思っていました。

常にアバンギャルドで、絵は己の糞尿のようなモノ、とさえ思っていた時期がありました。



今でも、基本はそういうモノが根底にはあり、絵を褒められると

『自分の汚い事を表に出しているのに、この自分と人の温度差はなんなんだ・・・』

と思います。



誰誰のスゴイ方の下でお世話になっているとか、上下関係があるとかなんとか聞くと

『アホらし・・・・・』

と思ってしまうし、リーダーの教えに忠実になりそのリーダーの言うとおりに動く、というのがたまらなく嫌いです。

よく、私は真面目だと言われますが、そういう風な事も考えます。



なので、いつも人と自分との間にある温度差を感じます。

こんな私が戦時中に男子として生まれていたら、きっと隊長は困った事でしょう。



幼い頃、近所の年上の人が居て、友人と私とその人とで遊ぶ事がありました。

年上の人の存在は、優しいものでもありましたが、何故か威圧的な所もあり、私はけっこう自分の意見を言う方でした。

『それはイヤ、これは良い』

といった具合に。


すると、いつからか、その人は私の友人には優しくして、あからさまに私にはキツくあたってきました。

鬼ごっこをした時なんか、私がなかなか鬼から変われない様な手段を取り、友人が鬼に成ると

『鬼になって、可愛そう・・・』と言ってたりして、私がまた鬼に成るように仕組まれたりしました。


私は悔しくて悔しくて、家に帰ってから何度泣いたか・・・。



子供同志の事だから、今となっては思い出ですが。

でも、それと似た様なものを大人になっても見ました。




自分の考えに共感してくれない人や、自分が理解できない考えの人、いろいろいます。
でも、だからと言ってその人を攻撃しても意味はないし、する必要はないのです。

自分の美意識に当てはまらない、芸術はこうでないといけない、と主張はしてもその思いで人を良い悪いと判断しても意味が無いように思います。


強い思いはきっと魂の奥から来るものなので、自分では抑えきれないものなので、無理には切り離せないですが。

人の事まで考えられないくらい、自分のやる事に一生懸命に生きるしかないのかもしれないなと最近思います。



『文句言ってないで、実際にそこに行ってみればいいのに』

と思う事がよくあります。




暑いから動きたくない、とよく言ってしまいますが、動くと納得の行くモノが得られるモノです。


a0249049_1433981.jpg

[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-16 01:46

鼻の働き

a0249049_23282866.jpg

お盆の時期となりました。

お盆の時期に言う言葉ではないかもしれませんが、夏を満喫しています。

海へ行ったり、山へ行ったり、花火に行ったり、とかいう満喫ではないですが。



夏の暑さを満喫しています。


今、自分の部屋で油絵を描いています。
昨日から描き始めたので、まだ下地塗りの段階です。

さらっとそんな事を書きましたが、自宅で油絵(100号程度)を描くという事がこれほどまでに大変だとは思いも寄りませんでした。

アトリエを借りるというプロジェクトに入ってはいますが、締め切り差し迫り、自宅での制作となりました。



キャンバスを何個か作り、自宅に運ぶと、M100号はなんとか二階の自室に持ち込めたのですが、F100号は階段でつっかかり、自室では制作出来なくなり、仕方なく、一階の店で制作となりました。

お盆の時期は店を閉めているので、ほんの少しのスペースがあります。
空きスペース約畳1畳分・・・。
その畳1畳ほどのスペースで、分割して制作です。



しかし、スペースの小ささよりも私を悩ませるのは、油絵のにおいだったのです。

自分の部屋も約6畳の部屋ですが、いろいろ家具があるので狭く、油絵を押し入れに立て掛けて、そのすぐ横に布団を敷く、といった形です。

油絵は学生の頃からしているので、においには何ら抵抗はないと思っていたのですが、急遽寝床のすぐ側にM100号キャンバスが置かれる事になると、大変でした。

最初は、なんてことはない、と思って、換気をしながら寝たのですが、朝方、頭が鈍く痛くなり、気分が悪くなってきて、目覚めました。

今までにも、小さなサイズの油絵を自室で描いた事があったので、その時はなんともなかったので今回も大丈夫だと思っていたのですが、朝方、この自分の部屋に居たら本当にヤバい・・・!!となり、一階の居間に避難しました。



一階の居間の空気は、まるで軽井沢の森のようだと思いました。
(注:私は軽井沢には行った事はありません。)

普段、当たり前の様に過ごしている場所が、本当にスゴイ所なのだと思いました。

それだけ、大きな描きかけの油絵を置いた部屋の空気は危険でした。


そういえば昔、倉庫で油絵を描いていた時、倉庫に置いていた観葉植物の若い葉があり得ない形で曲がっていて、倉庫内の空気を植物にいっぺんに吸わせてしまったのだと思い、もう油絵を描く倉庫では植物は置かないと決めた事を思い出しました。


自然を模倣する様な絵を描いていても、その道具は科学的なモノなので、人体には良くないのだと思いました。

換気をよくすると問題は無いのですが、ただ換気をしていると、冷房はつけれなくて、結局夏をイヤと言うほど満喫できると言う訳です。




月曜日は版画の搬入作業のお手伝いの為、自室から離れ、夕方家に帰って来たら、においはかなり消えていました。



前にも書きましたが、人間の鼻というものは、本当に毎日毎日、あらゆる香りを嗅ぎ分け、危険を察知したり、良いモノを選んだりしているのです。

昨日、寝る前、確か鼻の粘膜が麻痺している様な感覚がありました。
朝方に頭痛を引き起こしてしまう前に、鼻は既に部屋の空気がおかしい事を知っていたのだなぁと思いました。
鼻は、もしかすると、自分の機能を自分で麻痺させて、科学的な香りを吸い込まない様にしようとしてくれていてたのかも・・・と思うと、鼻に申し訳ないと思いました。

鼻の言う事を聞いておけば良かったと反省しました。




でも、そんな鼻が喜ぶものも私は持っているのです。

京都のアロマとハーブのお店の方が作った 香り があるので、鼻の機能が低下すると、いつも香りのスプレーをシュッとするのです。

自分は嗅覚が犬並みに発達しているのでは?!と思うくらい、香りというものは私の健康状態に深く影響を与えるのです。

以前仕事で、クレゾールの原液を嗅いだ時は、3,4か月、鼻の片方の粘膜がおかしかったです。



絵の次に何が好きですか?と聞かれたら、私はきっと 香り と答えるでしょう。

香りはダイレクトに脳髄の奥にまで響き、視覚センサーを揺さぶるのです。



京都のその方が作った香りは、まるで四六時中香っていたら、配合の分量まで明確に鼻が分析しそうですし、いろんな香りを配合すると自然界にある固有の物質の香りに変化しているような、そんな気がしてなりません。

香りから、現れるイメージも凄くて、今まで普通に雑貨屋さんとかで買っていた香りはなんだったのか・・・?!というくらいです。



そんな、香りとにおいと鼻の関係。


学生の頃から、風邪を引いている人の近くに寄ると、時々私は鼻がビリビリと振動している様になりました。

鼻ってすごい!!



五感はまだまだ機能を持てあましているのだと思います。

日焼け止めを塗った肌は違和感を感じているし、ジャンキーなモノや肉を食べると、皮膚からそのものの香りが何時間かしたら漂ってくるし。

やはりここでも鼻は大活躍しているのです。




こうなったら、幸せとかチャンスの香りも嗅ぎわけれるような体になってみたいものです。


生き物の感覚がどれだけ使いこなせるか。


私は猫よりも犬が好きなので、やはり、鼻が決め手です。



9月の24日から始まる展覧会の絵が出来上がったら、香りを部屋で思いっきり焚き、鼻を労ってあげたいです。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-13 00:54

見えない力の業

a0249049_0522745.jpg

上の写真は前に公園で撮ったものです。

この花はなかなか写真を撮らせてくれなくて、動き回る子供のようでした。
風が少し吹くだけでも、花がフワフワ揺れて、写真はブレブレでしたので、しっかりと撮るのに時間が要りました。



よく人に

『ブログの写真はスゴイカメラで撮っているんですか?』

と聞かれるのですが、全くスゴくないカメラで撮っています。
全てコンパクトデジカメで撮っています。


写真学科の知人が

『高いカメラを使うと、それなりに上手く撮れる』

と言っていましたが、私は情熱と辛抱強さがあれば、お手軽なカメラでもきちんと撮れると思います。


学生の頃はフイルムの一眼レフでよくモノクロ写真を撮っていたのですが、今は一眼は使っていません。
学生の頃は、モノクロフイルムを自分で現像していましたが、今は自宅に暗室なんてないので、自然とやめてしまいました。

でも、暗室が作れるような家に住む事が出来るようになったら、またモノクロフイルムをしてみたいです。



友人と、前にイケアに初めて行き、イケアのでっかい花瓶を目にしました。
小学生の背丈くらいのでっかい花瓶があり、私は

『この花瓶が悠々と置けるくらいのでっかい豪邸に将来住もう!!』

と盛り上がりました。

その豪邸に住めるくらいになったら、暗室も簡単に作れるでしょう。





今日はお昼に、しゅん・・・となる事がありました。

また怒りをあらわにする人の話を聞いたからです。


もの凄く怒ったり、いつもイライラしている人は、一体いつ、救いの手に気付くものなのでしょうか・・・?

イライラしながら、人を恨みながら、この世を去るのでしょうか・・・?


自分より年上の人間が居なくなって、自分の行いを正してくれるような人にもう会えないのだとしたら、それはそれできっと寂しいものだと思います。

自分のお母さんやお父さんや、自分を理解してくれる夫が側に居たら、その人のイライラは少しでも軽減していたのかなぁ・・・と思いました。


寂しいと、心がねじれます。
人が妬ましくなり、自分だけの事を解ってもらいたいと思うものです。

悪いモノにも手を出してしまうでしょう。

心が悲鳴を上げているのに素直になれず、イライラするものだから、誰も自分の闇に気付いてくれなくて、本当は誰かに寂しさを聞いてもらいたい。


そう思っているのかもしれないなぁと私は怒る人に対して思いました。



他人が寄り添えなくても、きっと何かが救いの手に成ると私は信じてみようと思いました。




私はよく、いろんなものはみんなエネルギーなのかもしれない、と思います。

見えるものも、見えないものも、みんなエネルギーで成り立っていて、それを自由に使いこなす為に、生き物は長い長い旅をしているのではないか・・・?と思います。



信じる事も一つのエネルギーで、祈る事も一つのエネルギーで、それを上手く使う事が出来たら、寂しさでいっぱいの人はいなくなるんじゃないかなぁと思います。




花からは無条件に信じる事や祈る事のようなエネルギーが出ているから、自然と、花を見る人は心穏やかになるのかもしれません。




イライラしている人や、クタクタの人に、

『おつかれさん』

と言っているような気がします。



人に自分を解ってもらえないという事を前提にしていても

『よくわかる。よう頑張ったなぁ。』

と言ってもらいたい気持ちをみんな心に持っていて、それをなかなか言われない事に傷付いているのかもしれません。



他人は自分の心まで見えません。
本当に言ってもらいたい言葉や、してもらいたい事が解らないものです。

だから思い通りに成らない事は極自然な事で、でも、思い通りに成らなくても巡り巡って納得行く時が来るのかもしれません。



ものぐさで、あまのじゃくで、ひっそりと地味にブログを書いている者ですが、私は信じる事を続けようと思います。

a0249049_2144177.jpg

[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-09 02:12

かみひこうき

a0249049_20584351.jpg

夕方、宮崎駿さんの 【風立ちぬ】 を観て来ました。

まだ観ていない方がいらっしゃると思うので、内容は言いませんが。



私の感想は・・・・・・

『かみひこうき』

です。



真っ白い紙を渡されて、ひこうきを作っても良いし、絵を描いても良い。




私はこの映画のコマーシャル映像を観て不覚にも泣いてしまったのですが、映画を実際に観ると、泣きませんでした。

私では解らない所がありました。
私の血肉にはないものがあり、どう頑張っても今の自分では歯が立たないと思いました。


ただ、心が揺れた箇所が2つありました。


もっと生きたかっただろうな・・・と思わせるシーン。

そして、紙ひこうきのシーン。




まだ観てない人は、レディースデーに是非行ってみて下さい。

あ!男の人は意味無いですね・・・。レディーが得する日なので(^_^;)



誠実な人の熱意は、種々雑多なものに巻かれても、何十年経っていても、涼やかで美しいと思いました。



私は、何をこれから観たいか・・・?

映画館から離れるに連れ、ズシーンとみぞおちにくるものがありました。



まだまだ、腕を振ってガシガシ歩いて、生きないと、と思いました。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-07 21:29

師匠のような

a0249049_1125455.jpg

綺麗な花が咲いています。


眠いのに、ブログを書こうとしています。



いろいろと、人間なので、感情の幅があり、いろいろ考えるものです。

嬉しい事や悲しい事など。


でも、不思議と悲しい事や嫌な事や不安な事はもの凄く頑固に居座るもので、京都風に

『そろそろお茶漬け出しましょか~』

と言っても、なかなか帰ってくれません。


『なにグズグズ居すわっとんねん、われ!はよ出て行かんかい!』

と大阪風に言っても無駄な時があります。



哀しみや不安の記憶は一番脳にインプットされると聞いた事があります。

動物の時のなごりで、危険を回避する防御の役目だとかなんとか。


でも、人間となっているので、もはやグズグズしたり怯えて一歩も冒険をしないでいたら、危険を回避というより、幸せを回避しているようなものです。




人と比べると・・・・・

もうこんな年だし・・・・・

相手にどう思われるか・・・・・

失敗はしたくないし、カッコ悪くなりたくないし・・・・・



人はそんなバカな事を考えてしまう生きモノなのです。



自分の立場を優位に持って行きたいが為に、他人の荒を探したり、自分と比べて

『あの人より私が勝ってる』


とか思ったり、自分が劣っていると感じたり。



渦が巻く巻く、渦潮祭り・・・といった感じ。


そんな空気を察知して、さて自分はどうなのか・・・?と考えてみたら、目に見えている様は自分の心の裏返しのようだと思い、少し落ち込みました。




いろんな思いが交錯する中で、不安や哀しみをどうやったら軽減できるか・・・?

恐れや恨みなどをどうすれば良いか・・・?



それは全て、何かのエネルギーになろうとするもので、物体が平面上に立っていられる力に、動きと言うものを加えられる事で、その動きというモノを生み出す元になっているのだと思いました。


なんの動きに変えるかは、個人次第ですが、その動きは花の蕾を開かせたりする事に似ているのではないかと最近思いました。

まだまだ、熟考しないといけないですが、人間の動きのエネルギーは想いを喰って栄養とするのだと思いました。

そう考えると、正も負も、どちらのエネルギーも有効活用して、一個の絵にした方が良いなと思います。
欲望が強い人も、幸福を強く望む人も、絵描きになったら良いのになぁ、なんて思います。



花の様に、無条件に開いている事を恥じないモノって、スゴイなぁと思います。

なので花にはいつも負けてしまいます。

優しいし、潔い。

『師匠、カッコイイ・・・』

と一人花に呟きます。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-07 02:02

水鳥のごとく

a0249049_17373561.jpg

近所の公園の池の鳥達です。


カメラを向けたら、なんとなく鳥がポーズを取っているようでした。

そして・・・・



a0249049_17394091.jpg

スイスイっと行ってしまいました。
綺麗な夕暮れとスイスイの鳥達。



スイスイっと優雅に動いてはいますが、水面下では足をめいっぱい動かしているのでしょうね。
こんな綺麗な姿で私も動けるようになりたいものです。

でも、実際は水面下も水面から上もバタバタです・・・。





ついこないだ、今月にする事になった展覧会の事を聞きました。

実は、春に個展をした時に作った木版画以外にも木版作品を作っていました!
(年末のバタバタした12月の末に!)


『来年、木版の展覧会をするから、作品出してみる?』

と年末にある人にお誘い頂き、

『えー!!春に個展があるのに・・・さらに木版作品が居るやんか・・・!!』

と心の中で叫び、このお誘いの分はなんとか年内に作ろうと思い、作ったヤツでした。



神経がかなり要る木版。

なので、春の個展の作品が出来上がった時は、

『もう年賀状の季節までは版画はしない!!』

と心に決めました。



なので、もう年賀状の季節までは彫刻刀は触りません。

でも、版画のグループ展を来週します。



ちょっと遠い所なので、どうも人をお誘いするのが気が引けます・・・。
いつも遠い所のお誘いをしてしまい、すいません・・・。

そして、このギャラリーでのグループ展の際はほとんどDMが早くに送られて来ないし・・・(ToT)




今年は本当に展覧会ずくめです。


9月の末には京都の美術館でグループ展。
10月は大阪のギャラリーで絵画の展示即売のイベント参加。
11月はまた大阪のギャラリーでグループ展と、作品だけが海を渡ったりする展示。


自分の出来る範囲での参加なので、グループ展が多く、見に来て下さる方々には私のまとまった作品を見て頂く事が出来なくて申し訳ないです・・・。





優雅にふるまう水鳥の様にはなかなか行きません・・・。



でも、自分のしたい事が出来ているのは、幸せな事です。

上手く立ちまわれなくても、肩すかしを何度くらっても、自分の場所に居れる事は嬉しい事です。



時々、本当に辛くなって、王子様が表れて、アタフタする私をササッと抱きかかえて白馬に乗り、目的地まで連れていって欲しいと思う時もあります。



でも、足にマメが出来ても自分の足で動く方が私には合っているから、こんなにノンビリなのだろうなぁと思います。




夕暮れの池の鳥を見ていると、

『お疲れさん』

と言ってくれているようにも思えるし、

『もうちょっとだから、まだまだ頑張りなよ』

と言われてる気もします。




こないだの日曜日にワークショップを終えた私を見た方が

『キラキラしてましたよ~』

と言って下さいました。


内心、クタクタでしたが、自分の出来る事をすると人にはキラキラとした姿に見えているのだと思い、とても嬉しかったです。



殆どの人がクタクタなのに容赦なく明日は来て、越えないといけない問題を毎日毎日与えられて、電車に乗ると、電車の揺れが母親のお腹の中みたいな心地で、すぐ眠ってしまいます。


一杯のお酒やタバコやお茶などで、その日一日の自分を自分で労う。

あるいは、好きな事をしたり、好きなあの人の笑顔を思い浮かべたりなんかして、心を落ち着かす。




本当に心が喜ぶ事はなんなのか?




と最近自分に問いかけた所、人が笑ってしまうようなバカバカしい事を心が言っていました。

恥ずかしくて言えないですが・・・。



本当の望みは、シンプルというか、単純というか、とにかく自分の心にダイレクトに響くものでした。



その為に、クタクタでもバタバタでもアタフタでも、何をしてでも動くしかないのだと思いました。





・・・・・・でも、やはり王子さんに抱きかかえられて白馬にも乗ってみたい・・・。


王子さんと言うと、モノに【~さん】という、あの感じがします。
お豆さん、とか、お揚げさん、みたいな・・・。
王子様より、王子さんという苗字の人に会いたいのか?!といった感じ・・・・・・

(王子さん、おーじさん、・・・・・オジサン!!オジサンは困ります!!)




王子様、と正しく発音したいと思います。





とにかく、また展示です。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-05 19:02

惚れた日

a0249049_23572231.jpg

暑い一日でした。

今日は画材や梱包材などを買いにあちこち行きました。




夕方、地元に着いて、自転車を走らせていたら、いつもの道がいつもの景色ではなく、ジブリの映画に出て来そうな風景に変わっていました。



誰かが手描きしたような、オレンジ色の光と、真っ直ぐに伸びる道路と雑多な建物。

しずく と せいじ が自転車を二人乗りしている姿や、ナウシカ が雲の間をメーヴェで飛んでいる姿や、さつき と メイ のお父さんが家で書き物をしている様な、街にみえました。

何故なのか・・・?

解らなかったですが、自転車に乗り目に飛び込んでくるもの全てが絵画のようでした。



大学院に通っていた時も、こんな風に、景色が全て絵画に見える時がありました。

そんな事を考えながら、家でテレビを付けると、今日もジブリの映画がやっていました。




ジブリの映画が何故人を魅了するのか・・・・・?

なぜ、今日の景色はジブリの映画の様に全て愛おしく見えたのか・・・・・?



それは、きっと自分の声を観ているからなのかもしれません。

そして、自分の思いがしっくり合う瞬間に立ち会えたからなのだと思います。




私は、ジブリ作品で、一番心に響くのは トトロ です。

一番人が泣かなさそうな作品ですが、私は何故か トトロ を観ると映画の冒頭から涙がジワリと出て来ます。
初めから終わりまでキューンとしっぱなしなのです。


夏の匂いがして、蝉の声がして、暑いけれど哀しく冷たい記憶を思い出したり、蚊取り線香の香りや、おばあちゃんの着物を思い出したり、夏休みの家族旅行で兄が夏風邪を引いて母親を一人占めした事や、冷たい川に足を浸した事、いろんな感覚が蘇るのです。

この 呼び覚ます という作用がジブリ作品には多く散りばめられている気がします。




今日、私がいつもの景色を観て、違った印象を得た時も、呼び覚ますという感覚が使われていたように思います。

たまらなく愛しい人に会った様な感じもしました。



ラジオのチューニングが合った時の感じにも似てました。

その景色をまた写真に収める事が出来なかったのですが、どうしても心が記憶していて、心から離れません。



私は一目惚れというのはした事がないのですが、今日の出来事は世に言う一目惚れに近いのではと思いました。





心が記憶していて、心から離れないもの。

誰かと会っていても、何かの作業をしていても、ずっと心にある胸を締めつける笑顔みたいなもの。


心を奪われるという事は本当にあるのだなぁと思いました。



キラキラしていて、消えてしまいそうで、でもずっと自分の胸の奥にキューンと響いている、そんなもの。

それがジブリの映画にあったり、日常の中にいきなり現れたりしているので、驚きです。



8月もいろいろありそうです。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-08-03 00:51

ワークショップ無事終了

a0249049_22392948.jpg


『感動は冷めない内にかけ!』

ということで、今日のワークショップの事を書きます。



上の写真は、ワークショップの時に撮ったものです。


揃えられる範囲の素材を揃え、参加者さんに工作をして頂きました。





5月に自分の個展が終わり、それから、このワークショップの準備に入りました。

ワークショップなんてした事がなかったので、全くの一からの挑戦でした。


素材集めの為、いろんな画材屋さんに行ったり、新しく出来たという100円均一のお店に行ったり、ネットで取り寄せたり、安くて品ぞろいの良い問屋さんに行ったりと、暇があればあちこち歩いていました。

もちろん、沢山のマネーは持ち合わせていないので、本当に自分が揃えられる範囲のモノを揃えました。

もっと沢山素材があると思われた方がいらっしゃったなら、申し訳ございませんでした。


でも、この素材集めの行脚も、リメイクの見本作りの失敗・成功、ワークショップの内容の構成、どうやったらお客さんに喜んでもらえるか?自分らしい講座の作り方は?などなど、様々な事を経験出来ました。


ワークショップが終わり、終わった途端に、大の字で寝ころびたくなるくらいの気持ちになりました。

クッタクタになりましたが、春に参加したマルシェや、ゴールデンウィークの個展の時と同じ充実感を味わいました。



たかがワークショップで、クッタクタ、なんてアホか?!と思われるかもしれませんが・・・。

でも、心地良い疲れなのです。




何故かと言うと、見えない糸がまた少し見えたからでした。

自分一人で制作している時とはまた違い、人が一生懸命工作する姿を見れた事が何より嬉しかったのです。


その昔、大学生だった頃、中学に教育実習に行き、めちゃくちゃ退屈そうにしている子供や、授業とは別な事をしている子供がいろいろ居て、その子達にどうやったら先生の言葉が届くのか?と思っていました。


でも、今日、私のワークショップに来て下さった方達は、皆、生き生きとされていて、パワフルで、マイナスをプラスにするような方達ばかりでした。

好きなモノをするとなれば、やはりおのずとパワフルになるのだと実感しました。


大学生だった頃に見た光景は、単に美術が好きではないからだったのだと解りました。

確かに、私も、中学生の頃は、芸術系は好きでしたが、数学が大嫌いだったので、きっと教室の壇上から見える私はつまらなさそうにしていたのだと思います。




やはり、好きな事や興味のある事をしている時が一番人は輝くのだと思いました。

工作のワークショップをしている時、皆さん笑いが止まらない時と、全く喋らない時と、両極端にあり、全く喋らない時の皆さんの横顔はとても綺麗な顔をしていました。


私は、そんな横顔の方達に見惚れてしまいました。



臨機応変に失敗を成功に変える方や、自分の世界に入りとても集中する方や、天真爛漫に楽しむ事を続ける方、様々でした。





時々、

『私は何をしたら良いかわからない』

と、嘆いている人を周りで見かけます。


『私は何もできない。何が生き甲斐か解らない。』

という人もいます。


何も見つからないし、何も手元に届かない、と。



でも、自分というものは、自分ではよく見えないもので、いつも閉ざしているのは自分だったりするのです。

ダメな方へ意識を持って行ったり、わざわざ苦しい方を信じてみたり。



でも、今日、私のワークショップに参加して下さった方達は皆さん、陰なモノを自ら払いのけるような強さがあって、スゴイなぁと思いました。



一人の人間に、何もないはずがない!!と強く思いました。

閉じた扉がなかなか開かないだけなのです。

ワハハハッと笑ったりする事や、なんとなくこれをやってみよう!と思った事を楽しむ、ただそれだけで閉じた扉は0.1ミリ動くのだと思いました。


何もない所から、何かを生み出すのは、とりあえず手や足を動かす事なのかもしれないと思いました。


難しい昔の格言や、宗教の教えや哲学などがありますが、一番身近な良い教えは自分の隣に居る朗らかな人なのかもしれません。






大学生の頃、友人がサリンジャーの本を勧めてくれました。



アホな私はなかなか読解力がなくて、あまり読書が好きになれませんでしたが、今はなんとなく解ります。

サリンジャーの『フラニーとゾーイー』という本の中に、ふとっちょのオバサマが出て来きます。


ご飯を食べないというフラニーに、少しでも食べなさいという母。



何も受け付けないという人間に対して、温かいスープを出してくれるふとっちょのオバサマ。


ふとっちょのオバサマは、限りなくゼロになろうとする者に、1を与えようとする存在なのだと今は思います。



自分に投げられたモノが、ごく当たり前の様でどんなに奇跡的な事か。




不思議と、スプーンを使ってスープを一口飲むと解るのです。






文句タレも、批判家も、ウジウジした引っ込みじあんも、皆この夏は、今まで自分がした事ない事を一つやってみると良いと思います。






今日は本当に、私の企画したワークショップに参加して頂き、ありがとうございました。

人見知りなので、初対面の方と会うと、極度の緊張で体がこわばるのですが、楽しいお喋りをして下さったり、黙々と作業する綺麗な横顔を見せて下さり、私はとても幸せを感じました。
楽しかったです!
約3カ月をかけて、準備した甲斐があった所と、なかった所、半々ですが、心が満たされました。

ありがとうございました。


今日、ご参加頂いた方々のノートリメイクの写真です。

a0249049_23553484.jpg

向かって左の方の作品は、何層にも重なった層が出来ていて、一つ一つの層(経験)にまるで良く出来ましたシールを張っているかのようでした。

向かって右の作品は、金魚と金魚を抽象化したようなピンクの形が印象的です。
何かが昇華していく様を表しているように見えます。


a0249049_005869.jpg

向かって左の作品は、ピーヒョロロと音が聞こえて来そうで、夏休みの楽しい始まりの音が鳴っています。

向かって右の作品は、動物的感覚は繋がっていて、一つの道を差しているようで、それを辿って行こうとしているような絵です。


a0249049_045613.jpg

向かって左の作品は、丁寧に何かを採集してカメラに収めようとしているようです。

向かって右の作品は、完成された雅な世界の記憶を手繰り寄せて楽しんでいるような感じに見えます。




作品には必ず、その人の心が垣間見えます。
面白いものです。


参加して下さった皆さん、私にお付き合い下さりありがとうございました。

手仕事が皆さんの力になりますように・・・
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-07-29 00:14

投じる

a0249049_2313324.jpg

暑い夏の日でも、草は茂り風に揺れています。

道の脇の土手のような場所で、茂り過ぎているので刈り取られる時が来ると思いますが、この大きく揺れる草達はとても綺麗です。



そして、反対側には サルスベリ。
a0249049_23173955.jpg


去年、京都の美術館のグループ展でこの花をモチーフに描きました。

あれからもう一年経ったなんて・・・



女の人に受けが良かった絵でした。
あのサルスベリの絵は実は女の人の情念のようなモノを描いたのです。

なので、女の人に受けたのかもしれません。

私なりに、女の恨みを晴らす、といった気持ちを込めたのでした。
今だから言えますが・・・(笑)

さて、今年はどんな絵を京都の美術館のグループ展で出そうかなぁ・・・?
なんてフワフワ考えてはいないです。

既に構想は出来ているので、後は動くのみです。




明日、私は自分で初めて企画した工作ワークショップをします。

前日はきっと緊張するだろうと思っていたのですが、不思議な事に、ワクワクしているのです。

いろんな所に足を運び、いろいろ工作に使う素材を吟味して、自分で試して、失敗して、また試して、の日々が続きましたが、ようやく明日、その決着が付くといった所です。


その準備が今日はあったのですが、何が何でも絶対行かなければならない事が今日の夕方あり、準備の手を止め、猛ダッシュでその場所へ向かいました。
(自転車で言ったので正確にはダッシュではないですね・・・)


それは何かと言うと・・・



地元の年下の友人の無料ピアノコンサートでした。



友人は2番目に出演するらしく、私は初めの時間に間に合わず、1番目の人達の終わりくらいに会場に着きました。

汗が滝の様に流れていましたが、ハンカチで仰ぎながら息を整え観客席に座りました。

すると、友人が会場の端からピアノの前に出て来ました。

綺麗なインドのサリーを着ていました。


満面の笑顔で、友人は挨拶をしていて、すぐにピアノのイスに座り、呼吸を整え弾き始めました。

私は目を閉じて、聴き入りました。



真っ暗闇の宇宙の彼方から、一つの惑星が飛んで来て私の前でグルグル回っていました。
惑星が生まれてそして惑星に温度や湿度や生き物の気配がして、パァッと世界が虹色になりました。

虹色の蝶が飛び交い、懐かしい風景が広がり、また夕闇が迫り、そして静かな音が広がりました。

次に、ラヴェルが少し出て来て透明な階段を地面から空に作り上げました。
でも、階段が出来たと思ったら、急にキラキラと階段が無くなり、噴水のようなモノになりました。

噴水の水のしぶきが飛んで来て、涼やかになりました。

やがて、水しぶきの中に赤とんぼが飛び交い、夏の終わりの風が吹き、幕は閉じられました。



・・・・・なんという説明だ!!

と思われるでしょうけど、目を閉じていた私の脳裏に写った光景はそんな感じでした。



私としてはもっと、大きな音やもっと小さな音があっても良かったと思いましたが、全体的にとても素晴らしかったのです。

友人がようやく本腰を上げて作り始めた創作曲でした。

いつもはクラシックの曲をよく弾く友人ですが、クラシックの曲とはまた違った大きな広がりを音に表していて、やはりスゴイと思いました。


私はいろいろ好きなピアニストが居ますが、この私の友人は一番のピアニストです。

まだまだ原石ですが、絶対に友人は世界の人の心を打つピアニストになると思います。

インドの超魔術とアメリカの黒人の魂のコラボとも言いましょうか。
そんな印象を受ける友人です。



猛ダッシュした甲斐がありました。

時間の余裕がなくて、5分や1分でも無駄に出来なくても、この人の表すモノが見たい!!!

と思ったら、猛ダッシュして行くべきです。


息はかなり切れますが、ほんのわずかでもそのモノに出会える喜びといったらもうすごいです。


友人のピアノが聴けたのが嬉しくて嬉しくて、景色がより一層鮮やかに見えました。




昨日は、知り合いの方の個展に足を運び、目的地までの道中またも夏の暑さにクラクラしたのですが、その方の絵も素敵で、小さなギャラリーなのに大きな海の中にいるみたいで、雄大な気持ちになり心が涼しくなりました。




行って良かった・・・・・・



そう思える場所に行ける喜びをかみしめています。




自分から動く事は、骨が折れる事ですが、クタクタ感を帳消しにしてくれる程のモノが待っているのだなぁと思いました。




勝っても負けても、どちらでも良いです。

クタクタになるまで、人生を遊び尽くしたいです。


『思い残すことは無いぞー!!』

と言って、三途の川を渡りたいです。



気になる事や、気になる人を追いかけて行くのは実に面白いです。

たった一つの見えない真実だけで、景色が鮮やかに見えるのだから。



生き方はみんなそれぞれ違いますが、自分の本当の望みにただただ忠実になっていれば、他人がどんなに自分の許せない行動をしていても、気にならなくなるものです。

他人の事より自分を立て直す事に精一杯になるからです。



自分の持って生まれた心で、自分を完成させるのだから、あまりクヨクヨと周りを気にする事はないのだと、思いました。




私の心にボールを投げてくれる人達に感謝したいと思った一日でした。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-07-28 00:25

言う事

本日は写真ナシブログ記事です。

私は結構どんな人とでも仲良くなったりする方なのですが、本当は内向的で人見知りなのです。
思った事もなかなか言わないし、周りの反応を気にしてしまうタチです。
こういう性格は、子供の頃から変わっていません。


なので家に居る時が一番リラックスできて、素のままでいられます。


思った事がなかなか言えないのはたぶん小学生の頃からです。

自分を押さえてしまうクセがあるのです。外では。



そんな事をしてるものだから、溜まる一方なのです。
アハハ、と笑うしかないくらい。

でも、そんな生き辛い性格ではあっても、なかなかこれが短所であり長所な所もあるのです。


ゆっくりなペースでしかも鈍いのですが、意を決してあることをすると必ず大きなものを得るのです。


今日はずっと言えなかった事をある人に言うという事をしました。
(普通の人ならそんな事普通に日常的に行ってるでしょう。)

言えなかった事を言うと、一瞬相手との関係がぐらつき、相手も私に対して言葉をピシャリと投げてくるのですが、そのやり取りを終えて数時間後に、

『ああ、私は自分の事を認めて欲しかったんや…』

と思いました。



言わないでいた時は、あーでもないこーでもないとあれこれ考え、相手の反応まで推測して、袋小路にはまるのですが、思いきって自分の声を相手にぶつけると、思ってもみない反応とかがかえってきたりしてまたイライラしたりもするのですが、言わないと自分の事が解らないのだという事がわかりました。

つまり、頭で考えているだけでは心は納得行かないという事なのです。

相手とケンカになっても、いくら自分の意見が滑稽であっても、心を納得させるためには言葉にする事が良いのだと、わかりました。

人という混沌の塊を人は内側まで見ない。
自分さえも自分が何を欲し、何に傷付いているかを知らない。

解らない塊を胸に皆が持っていて、それを骨が折れる事をして1つ1つ解って行く事が魂の求めている事なのかもしれないなぁと思いました。



解ってもらいたい。

認めてもらいたい。

受け止めてもらいたい。


のなら、考えてないで言葉にすると良いのだと、単純ながら思いました。

そしてそれでも解らないなら、大海原を漕ぎ出すしかないのだと。


そして大海原を漕ぎ出して、いろいろピンチに遭った事を解ってもらいたいなら、それも臆せず表して、自分が何をしてきたのかを見れば良いのだという事。

自分を押さえているのは自分で、押さえてしまう強力なフタがとれにくいのなら、そのフタが何故あるのかという事に着目して、それを臆せず表すと自分の芯に納得するのです。


回りくどいけれど、響鳴させながら距離や温度や心を測って行く事がしたいのだと、改めて思いました。

自分も鈍感なら、きっと相手も鈍感なのです。
人は自分ではないと思っている自分が引き寄せた世界なので。

『本当はこう思ってた』

『もっと知りたい』

『もっと話したい』

『気力が消耗するからイヤ』

などなど。


溜め込まずに少しでも言えるようになりたいです。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-07-23 23:56

夕暮れの音色

a0249049_237423.jpg


今日は用事があり、京都の四条烏丸に行きました。

晴れてはいましたが、暑さは少し和らいでいました。


四条の道路沿いの商店街を歩いていたら、空に飛行機雲が出ていました。

行き交う人の群れから、自分だけ止まった様に、私は端へ寄り飛行機雲を見ていました。


その四条へ行く電車の中で、ずっと私はある事を疑問に思い、誰かこの質問の答えを教えてくれ!と心の中で唱えていました。

そんな思いで四条に着き、烏丸の方へと歩いていた時の出来事です。
飛行機雲を見たのは。



その時は

『ああ、綺麗な飛行機雲やなぁ・・・』

としか思わず、やり過ごしました。



四条烏丸で烏丸線に乗り、北大路のギャラリーでのグループ展を見に行きました。

出品者の人といろいろギャラリーで話し、楽しい一時を過ごし、また電車で帰って来ました。



帰りは四条烏丸から乗り換え、三条に行き、三条からおけいはんで帰って来ました。


そのおけいはんの電車に揺られていた時、ふと窓の外を見ると、絵に描いたような青い色が街を包んでいました。


夏の夕暮れは明るい青い色で、上の写真の絵に使っている青色みたいでした。

絵の具の青い色に染まっている街はとても愛おしく、本当に絵の具の薄い明るい青い色が世界にあるのだと感動しました。


だんだんその青色は濃くなり、紺色になって行きました。

家の最寄り駅から自転車に乗る時は、月が出ていました。


月が出ている時でさえ、空は青色でした。

深い深い紺色に近い青色で、色が心に沁みました。



家に帰って来て、ご飯を食べて、テレビを付けたら、宮崎駿さんのアニメがやっていて、ボンヤリ観ていましたが、エンディングになり挿入歌が流れ出したら涙がジワリと目に浮かびました。



そして、そのアニメが終わり、今年の夏の宮崎アニメの特番が少し流れ、私は驚きました。

今日、電車の中でずっと答えを欲していた出来事から、ようやく答えのようなキーワードに辿り着いたと思いました。

否、今日一日の一連の出来事はこのほんの少しの特番に繋がっていたのだと思いました。



電車の中でずっと、何故?何故?何故?と問いかけていたからでしょうか?


宮崎駿監督の今年の夏のアニメの主題歌はユーミンさんの ひこうき雲 。

それは前から知っていたのですが、ひこうき雲という歌を知らなかったので、初めてじっくり聴き、良い歌だなぁと思いました。


その時、アニメのあらすじも少し紹介されていて、そのあらすじを知り、納得が行きました。

飛行機雲を四条の街で見たのは、これに繋がっていたのかと、あらすじを見ただけで涙が出ました。



ユーミンさんの歌は私はリアルタイムで聴いていた世代ではないのですが、大好きで、パソコンの中にも入れて時々聴いています。

【春よ、来い】【アカシア】【ダンデライオン】【優しさに包まれたなら】【hello,my friend】【あの日にかえりたい】
などなど・・・心に響く歌ばかりです。

こないだから、音楽の事もブログに書いているので、音がもの凄くクリアに聴こえて来ます。

【ひこうき雲】の歌は歌詞はあまり覚えていませんが、夏の日が陰り始めた空を飛ぶ飛行機雲そのもので、生温かい地面と河原の草を揺らす風を感じる音でした。



空がだんだん茜色に染まるのをじっと見ながら、自分の夢を信じてみようと決意したような。

どうする事も出来なかった死を、受けとめようとした日に見た空のような。

自分の行く末が見えない時の満員電車の中でふと見上げた窓の景色のような。


鮮やかで哀しくて誰にも言えないモノを空だけが聞いてくれたような。


そんなモノを思い出す、数分の夏の宮崎アニメ最新特番でした。




私は人が沢山いる映画館は嫌いなので、明日公開の宮崎駿さんのアニメはまだ見に行きません。
ちょっと空いたくらいのレディースディに行くのです。

大学時代の友人は、いつも初日に行くと自慢げに言っていたのを思い出し、

『ああ、また人ごみの中をかきわけて観に行くのだろうなぁ』

と思い二ヤリとなりました。





何年か前から、私は油絵を描く時、どうしても描きたいモチーフがその都度表れるのです。

それが表れるのは決まって、無念な気持ちや何かを晴らしたい一心の時に、ポワンとモチーフが決まります。



いろんな人が私の油絵を見て、素敵な感想を言ってくれたりしますが、私はいつも ”油絵は素敵なモノではない”と心で思っています。

感想を言って下さる人に反論をするわけではないのですが、素直な気持ちとして、”嬉しい!楽しい!”という感情で描いたモノは一つも無いのです。

ドロドロの後悔が引きずり出したボロ布のような思いや、積年の恨みつらみや、解り合えないどん底の諦めに似た思いや、泣き寝入りした思い出したくない気持ちを抱きながら絵を描くのです。

だから、

『素敵ですね』

なんて言われると、正直、赤面しそうになるのです。


でも、不思議なもので、どれだけ描き手が腐ったような気持ちを抱えながら描いていても、絵は反比例して生きるのだと思います。





病床の窓から見えた月。

別れを惜しんで泣いた目に映った嘘みたいな真っ白なシーツ。

もがいて引っ掻いた腕に滲んだ血の色。


鮮明に記憶に残るのは、私の場合、無念な気持ちの時や哀しくも美しいモノを感じた時で、そんなモノを実は絵にしていますなんて、大きな声では言えません。

何故言えないのか・・・?

言えない事程、己を眼の生き物にしてくれるのだと思います。




電車の窓からの景色が、夜ではなく、絵の具の色だと感じる事を、これほど愛おしくそして自分らしく感じる事はない、と思い、腐ったような心で描いている自分は何故か世界全体に抱きしめられているのだと思い、一人胸が熱くなりました。


片方の目がストレス漬けでほっておいたら失明するかもしれないという事を知った日、私は目が見える事がこんなに絵を描く自分にとって最高の宝物なのだという事を知りました。


まぁ人間なんて放っておいたら寿命で失明どころかぽっくり行くものですし、そんなに気にしてもいないですが。





何かを強烈に意識させる為に、自分に起きる事があって、それが生きる目的になって行くのだなぁと今日思いました。




夏が暑くて嫌だ嫌だ!と言っていましたが、夏の夕暮れは夏だけのモノです。

誰かの映画より、歌より、一番心に響く音が鳴っています。

そこん所は、やはり夏が来ていて良かったと思います。



ガンガンの蝉の合唱には毎朝参りますが、夕暮れが来ると思うと、夏も良いモノです。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-07-20 00:46

響く力

a0249049_0141325.jpg

ちょっと前に撮った写真です。

これは何だと思いますか?


実はモクレンの花が終わった後に出現するモノです。

モクレンの花の内部は綺麗なピンク色とか黄色をしていたのに、花が落ちると緑色になるのです。

そして、このヤングコーンみたいなモノもやがて地面に落ちます。

a0249049_0181467.jpg



面白い形です。

見ていて飽きる事がないです。自然のものは。






さて、7月も半ばです。

今月に入ってから、全く思う事がはかどりません。

何故かと思ったら、天体の影響で、水星が逆行しているみたいですね。

夏バテかと思ったのですが、食べるものはちゃんと食べています。

なので、天体の影響が心の宇宙にも作用していると思われます。



懐かしいモノに心奪われ、昔よく聴いていた歌を聴いたりしています。

歌は良いです。

聴いていたその当時の自分に瞬時に戻れますし、絵とは違った意味で描く事を作曲家はしているなぁと思います。



例えば・・・・

絨毯を織るのが素晴らしく上手い人が一色の色の糸でいろんな図柄を織りこめて作った絨毯があるとします。

その絨毯はレッドカーペットの様に長く、その絨毯の上を堂々と歩くスターのような人。

曲の作り手は、いろんな要素を織りこめてはいますが、メインはスターなので、スターの衣装より煌びやかな見えない装飾品のようなモノで、絨毯を歩くスターを引きたてるのです。



見えはしませんが、音の中にはそんな装飾品のようなものがあり、スターを取り巻いている気がします。

エネルギーと言うべきかどうか解らないですが、見えない所にある音の1要素だと思います。


もっと解り易く言うと、美空ひばりさんの【川の流れのように】を聴くと、雄大な大河を私は思い浮かべます。

そういうものをイメージさせるのが、音の1要素なのだと思います。



曲を聴いていると、何か昔の事を思い出しそうになって涙ぐんでしまう事もあります。

ハッキリと思い出してはいないのに、込み上げて来るものがあり、一人部屋で鼻をすすってしまいます。




短絡的な行為が大問題になってしまう事を今日、ニュースで知り、もしかしたら長い間、知らず知らずの内に体に蓄積されたモノが人体に影響を及ぼしているのではないかと思いました。

直接胃に取り込むモノもそうですが、自分が覚えていないけれど心が記憶しているモノがやはりあるのだと思いました。


体や心から、なかなかそれが出て行かない、というのがお決まりになっていて、辛い状況が日常だと思い込んでいたりします。

心に問いかけても、シーンとしていて何も聞こえない、という状態で。




『ごめんね、本当はこう思っていたんだよ』

とか、

『これをしたのには、こんな理由があったんだよ』

とかを素直に言えたら良いのになぁと思いました。



心の奥の奥が、自分に

『ごめんね、本当はこんな理由があったんだ・・・』

と話し出したら、訳が解らないまま動き続けていた自分は納得行くでしょうね。



幾つもの弱さを内に持っている事、意外に自分では気付かないものです。



懐かしい歌を聴くと、そこらへんの弱い自分が曲の装飾エネルギーで少し落ち着く気がします。






もっと、響鳴する事が必要だと思います。



大人も子供も、響鳴力を養わないと、と思いました。
(響鳴力とは私が勝手に作った言葉です・・・)
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-07-18 01:17

現象ハーモニー

a0249049_0212118.jpg

蒸し暑い日が続きます。

樹の陰でひとやすみしようと思っても、さほど涼しくないのが困ります・・・。



暑さが苦手な私は、夏になると

『ああ、北海道に行きたい・・・』

と呟いてしまいます。
(北海道に行った事がないので。)


でも

『北海道も夏は暑いやろ』

と言われそうですね・・・(^_^;)


北海道の白樺の樹の林などで、恋人と追いかけっこなどをしてみたいです。
(恋人はいないので、友人と、となりますが・・・。)

その追いかけっこをしている時のBGMは絶対に 北の国から の爽やかなバージョンの挿入曲でないといけません。
よく北の国からのドラマで回想シーンなどに用いられている曲です。
(春の訪れを感じさせるようなシーンで使われている曲。)



と、暑さを回避するために日々妄想をしています。
(でも、妄想をするなら、友人ではなく、恋人と白樺の林で追いかけっこをイメージした方がいいのでは・・・?と今気付きました。)



ま、そんな事はどうでも良いのです。



最近、立て続けに、あるキーワードが自分の周りに現れます。

そのキーワードの良い点を話す人や、悪い点を話す人。


自分がそのキーワードに興味を持った瞬間から、バタバタとそんな事が私の周りに起きています。

良い点と悪い点。


どちらも自分の意見が正しいと信じているので、私の割り込むスキがないのですが、さてはて自分は良く思っているのか?悪く思っているのか?と考えると、あまりよく知らないくせに気になっていた、という事に気付きました。

私は、昔からあまり知りもしないのに気になり、選んでいた事が実に多かったのだと実感しました。

嫌いな事も、なんとなく嫌、という理由で選んでいない事が多いのです。



堅実で慎重な人なら

『なんという曖昧な頭なのだ!』

と呆れられそうです・・・。



でも、根拠もなく予め与えられる情報もなく、ピンと来るものがあるのです。

それを頼りに生きて来たのだから、我ながらアホで面白いです。


そのせいで、よく不思議な一致や偶然とは思えない出来事が起きています。


自分の合わせ鏡のような人や、自分の欲しいモノを含んだ出来事などなど。

私が地球の裏側に居ても、特定の人と同じモノを選んでニコリとほほ笑んでいるような事があるような気がして、場所も時間も、単なる概念でしかないのかもしれないと思ってしまいます。



和音や不協和音があるように、自分とある事象は音楽を奏でているのかもしれません。

気になるモノとの音楽はきっとバッハの曲のようなモノかもしれません。

タリラリと弾いたら、タリララララと流れるように自分の後を弾いてくれるような。

調和と誠実な祈りの旋律です。


何かの本で読みましたが、宇宙は全て調和している、らしいですね。
(何が調和しているのかはさっぱり解りませんが、宇宙はべラボーなモノの塊な気がするので、解らない大きな調和もあるのでしょう。)


あまり物事が上手く行かなかったり、進めたいのに進まなくてイライラする時が多々ありますが、自分の頭上には調和の音楽が鳴っていて、夏らしい音がキラキラしています。


もう七夕は過ぎて、織姫と彦星さんはまた離ればなれですが、夏の夜空は調和を奏でている気がします。


日が昇ればまた、空からテンペストが大音響で聴こえて来そうです。

あくまでも、私のイメージですが。



ハーモニーと言う名の現象の美。








7月28日(日)工作ワークショップ参加者募集中です
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-07-15 01:46

模様好き

a0249049_11405115.jpg

模様好きにはたまらない布の模様を何も考えず一日中眺めていたいです。


何も考えられない時が最近多いです。

それは何故かというと・・・・・・・暑いからです。


掃除の仕事に入っている時、あり得ないくらい汗をかきます。



私は普段からよく汗をかくので、友人が驚いて

『汗すごいよ!』

とよく言うのです。


そんな時、何故かちょっとイライラしてしまい

『それくらい私自身が一番よく知ってるわい!』

と言うのですが、掃除の時にふとトイレなんかで自分の姿を見ると

『汗すごいで、自分!!』

と言ってしまいたくなる程・・・・・。

まるで滝行でもなさったのですか?と言いたくなる程。



仕事の時は自分の事を 掃除の鬼 と暗示をかけて掃除をするのですが、仕事が終わって帰宅する時や、一晩寝てもずっと思考回路は停止中です。




それなので、模様を眺めているのが心地良いのです。

模様的に絵を描いてみようと思いました。


a0249049_11565654.jpg

木の国、日本列島、の模様といった感じです。


a0249049_1157733.jpg

山岳地帯の雲海の雲がやはり模様に見えます。


そして、暑い暑いと思っていたら手が勝手に同じ二文字をを連続で書いていました。
a0249049_1202446.jpg

字だって模様に見えます。



全てが模様に見えるのは何故・・・・・?!



なかなか進めたいのに進めない事があって上手く行かず、それも何故かと思ったら、天体の影響もあるらしく、なかなか人間は面白いものだと、雲海を眺める仙人気分です。




仙人と言えば、先日仙人のような人に会いました。

厳密に言うと、仙人ではなく、仙人役が似合いそうな同い年の青年です。


インスタレーションという現代美術をやっている、同じ大学出身の人でした。

その人と話をすると、意識が一気に大学時代に戻りました。



暑い暑い夏、大学に行くまで少しの坂があるのですが、その坂が辛かった。
そして、坂を登り終えても、学部の建物に行くまで更に歩かないといけませんでした。
(ま、そういう程長い距離ではないですが、なにしろ夏だったので、余計しんどかった・・・)

アホな私は暑いからという理由でビーチサンダルで大学に通っていたので、足がすぐに疲れました。



大学4年の時、クラスの皆(20人近く)で夏休みに、大学の宿舎がある和歌山の白浜に行った時の事。
夜、浜辺でバーベキューをしました。

一段落ついて夜空を見上げると、幾つも星が見え、流れ星も幾つも見ました。
皆が空を見上げていました。
ギターを弾いている男の子もいました。

大学4年で、もう1年も経たない内に卒業して、みんなどうなって行くのか?とか、自分はどうなるのか?と考えていました。
(結局私は大学院に進学しましたが・・・。)
夏になると、その時にみた星をよく思い出します。

そして、その時に見た静かな海。

真昼のカンカン照りの日差しの海も綺麗ですが、その時に見た夜の海は懐かしい場所や人に繋がっているような海で、不思議でした。



専門学校も大学も大学院も、いっぱいいろんな人に出会えて、そして今、またその人達との縁でいろんな事が成り立っているなぁと思いました。


人との出会いや出来事も、模様になるような気がします。

好きな人も嫌いな人も、良い味出して、良い模様に。

ドビュッシーのアラベスクのような、滑らかに流れるような模様。

アラベスク模様のような音楽と絵。

輪廻の中から逃げ出せないのではなく、軽やかになればふわりと、しがらみや苦いモノが溶けて行くような、そんな事を表しているような模様。



一番の思い出も、いつか絵に織り込めたいです。



2013年7月28日(日)工作ワークショップ 参加者募集中です
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-07-09 12:55

見えない真実

a0249049_23565039.jpg

日曜日、午前中からある場所へ出かけていました。


私の関わっているプロジェクトの一員の人の展覧会を見に行く為、初めて 能勢電鉄 というものに乗りました。

だんだん街から離れて行き、山の中を電車は走りました。
山登りに行くのか?!と思えて来て、不安が頭をよぎりましたが、とにかく行ってみよう!!と思いました。


目的地に着くと、やはり山登りの雰囲気漂う駅で、初めての所に行く時は必ず緊張してトイレに行きたくなるので、トイレに向かいました。

トイレを見付けて、さて一息付こうと思ったら・・・・・・・
トイレの入り口付近の窓に、私の苦手分野の虫がいました、大き目のヒラヒラ飛ぶ虫です・・・・・(ToT)

幸い、窓にひっついていたので、触らぬ神に祟りなし、という事で急旋回をし、トイレに行きたい気持ちを忘れる事にしました。




駅を出ると、本当にここは住宅街なのか?!といった感じでした。

a0249049_010023.jpg

駅からの道を登り終わり、振り向くとこんな風景・・・。


その道の壁伝いのコンクリートには・・・
a0249049_0122311.jpg

こういう者がいました。


ここの土地で育ったプロジェクトの一員の人が何故天真爛漫なのかが解りました。


道を登り終えると、住宅街でした。
ベッドタウンで、大きなお家が沢山ありました。


駅からほんの少し歩いた所に、展示会場がありました。

展示会場と言いましたが、実はご自宅を展示会場にした、斬新な展覧会でした。

大きな洋風のお家に、その方の作品が所せましと飾られていて、暖かな展示だなと思いました。


でも、その展覧会のテーマは 岡本太郎さんか!?と言いたくなるような情熱的なテーマで、面白いなと思いました。

自分に起こった運命的な出来事をなんとかして消化させるため、一生懸命に何かを表そうとする姿勢が伝わって来ました。



その前日は、ご縁がありご近所さんの92歳の方とお話する事がありました。

耳に補聴器を付けて、時々は酸素のバックを引いたりしている方です。

腰や足が痛むと言いながらも、杖を使う事無く真っ直ぐな姿勢で歩いていらっしゃいました。

戦争で南方に行っていたお話や、幼い頃のお話やいろんな所へお仕事に行ったお話を聞き、体が弱ってなければまたいろんな所へ行きたいと仰っていました。

そんな方とお話が出来る事をとても有り難く思いました。




生老病死。

人間にはいろんな事が起き、その都度、人は何かを思います。

一つ一つの事が大きくて、でも他人からは見えないモノがたくさんあって、自分の足でその場所に動いて行かないと解らない事が沢山あるんだなぁと思いました。




こないだ、仕事でちょっとミスをしてしまい、上司さんに申し訳ない事をしてしまいました。
上司さんに手痛い事を言われてしまいましたが、何故か、私は冷静になり、上司さんも自分も、まだまだ周りを観察しきれていないのだなぁと感じました。


結果を見る事でしか状況を判断出来ない立場と、足しげくいろんな所へ動かないと事が見えない立場と、いろいろあるのだなぁと思いました。


見えない事が山ほどあるのに、決めつけて『これはダメ』と言ってしまう事は危険だなぁと思いました。


上司も部下にも、その人なりの真実があるので、柔軟にならないといけないなぁと思いました。

出来るだけ感情的にならずに、素直に謝り、素直に接する事を心掛けようと思いました。





人と関わると、見た目からは見えない所がじわじわと見えてくるので、焦らず、じっくりと観察して行きたいです。

その生活の中で見付けた貴重な見えない真実を絵にして行きたいなぁと思います。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-07-02 00:56

明日の自分

a0249049_09748.jpg

先日の満月です。

この日、天気はあいにくの雨または曇りだったので、お月様は見れないかと思っていたのですが、夜ベランダに出ると偶然、雲間からお月様は顔を出していました。

私の眼にはいつもと違うお月様に見えました。



深い強い色で、何かを熟考しているような月に見えました。




私は最近よく絵本の事を考えていました。

幼稚園の頃に園で先生に読んでもらった 【かしの木ホテル】 や、母によく読んでもらった 【からすのパンやさん】 など。


久し振りにそれらの絵本が見たいと思い、本屋さんへ行くと、からすのパンやさんの特集記事が載った雑誌がありました。

当然、吸い寄せられるようにその雑誌を手に取り、読みました。


そして、その 【からすのパンやさん】 の作者の かこさとし さんの絵本を探し、読みました。
からすのパンやさんの絵本を何十年振りかに読み、目が潤みそうになりました。

そして、そのかこさんの絵本シリーズで 【おたまじゃくしの101ちゃん】 という本もタイトルをボンヤリと覚えていたので手に取り読みました。

その 【おたまじゃくしの101ちゃん】 で、涙が滲みました・・・・・。
もう無理、我慢できないという感じでした。
内容を言うと、読んでいない人に申し訳ないので、言わないですが、一度読んでいない方は読んでみて下さい。




人間は何故、涙を流すのか・・・。

何故、怒りを抑えきれないのか・・・。

そして何故、心を壊してしまうのか・・・。


何年、何十年と、ずっと溜めに溜め込んでしまうのは何故か?

自分が自分として生まれて来た事を良く思えなかったり、周りの当たり前に在るべきモノが足りていない事によって生まれる歪みにばかり黒い栄養を与えてしまう事を悪いと解っていながら何も変えれないのは何故か・・・?

一時的に得られる快楽や、とりあえず心地良いモノを見て気を紛らわしたり、一番想像しやすい不安を信じてみたり。

いろんな事が謎だらけで、自分の知っている事などは、ほんのスプーン一さじくらい。





学生の頃、学校のクラスの友人達との飲み会があり楽しくお喋りしてお酒を飲んでいました。

ですが、私の中の心のしこりがまた現れ、飲み会がお開きになろうとしたくらいで私は泣いていました。


仲の良い友人達は、『またか』と思いつつも私を介抱してくれました。

でも、その時、沢山人が居るお店の中で、一人の背の高い男の子が私を抱きしめてくれました。

その時の感覚を今も覚えています。
泣いてみんなに迷惑をかけているのにも関わらず、その男の子は抱きしめてくれて、ほんの数秒の事でしたが、何故か心のキリキリしたしこりが緩みました。

ずっと抱きしめられていたいと思いました。




それと同じ事を、数年後、仕事先で目の当たりにしました。
以前にも書きましたが・・・。

言う事を聞かない子供が暴言を吐いたりしてどうなだめたら良いか困り果てていたら、同僚のベテラン先生がギャアギャア騒ぐ子供を何も言わず抱きしめたのです。

そしたら、子供は別人の様に大人しくなって、ベテラン先生の腕の中に居るのにまるで母親の腕の中にいる赤ちゃんみたいな顔をしていました。

私は唖然として、その光景を見ていました。



酔っ払って心のしこりを抑えきれなくなった時に抱きしめられた感覚と似ているなと思いました。



感情が人間にある限り、それをコントロールして行くには自分一人では限界があるのだと思います。

そうじゃないと反論する人もいるでしょうけれど。


それが究極的に言うと、宗教に繋がるのではないかと思います。

自分の対岸にいつも居る存在。

否、ただの対岸ではなく、それが自分の胸の中にある様を言うのだと思います。



宗教でなくても、何かに向き合っていないと暴走して、心の悲鳴は現実の人の悲鳴となってしまうのでしょう。

私は、芸術の学校に行き、その事を知る為に絵と一緒に過ごして来たのかもしれません。


同期の友人たちは皆それぞれ自分の道を歩いていますが、せっかく絵の学校に行き絵を学んだのだから、自分の不安定なモノを絵にしてみたらいいのに・・・といつも思います。





いろんな出来事が起き、ダメだと思っていた事でも奇跡的に出くわしてしまえたりする事が起きる世の中で、自分が一枚でも絵を描かないと日めくりのカレンダーは進まない気がします。



人は原始の時代から成長なんかしていなくて、滅びの道を日々歩いているだけなのかもしれませんが、何故、明日があるのか・・・?と自分に問うてみたら、様々な声が聞けるでしょうね。






7月28日(日)工作ワークショップ参加者募集中です
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-06-29 01:32

動く事、作る事

a0249049_18102762.jpg

雨が降ったり、止んだりの季節になりました。


上の写真は友人がくれたペーパーウェイトです。

暑い時期に見ると、涼しげでとても心地良いです。



今日はかなり久し振りに部屋の大掃除をして汗をかきました。

春からとても忙しかったので、部屋がカオス状態でした・・・。

部屋の小物も夏使用にしたので、やっと涼しくなり、体感温度も変わったような気分です。


自ら動いてみると、思っていた以上に気持ちが変わるのだと実感します。





先日、友人達に会いました。

美術の大学時代の友人と、ピアニストの友人と、計5名が友人宅に集まりました。


大学を卒業してから仲良くなった同じ大学出身の友人や、偶然とは思えない出会いで繋がった友人達との女子会でした。



いろいろ不思議な話や他愛もない話をするだけなのですが、それがとても心地良くてずっと食べたり飲んだり話していたいと思いました。



同じ大学を出ていても、性格は違うしやっている事も違うし感覚も違うので、面白いです。

気を使う事なくバシバシものが言えたり出来るので、友人は有り難いものです。



一人として、全く同じ人間はいないのだと思い知らされます。

例え同じ生年月日の人がいても、やはり同じではないので、個々の色があります。



出来ない事や出来る事も違うし、言い方や感じ方も違うので、デコボコパズルのピースみたいです。




また、別な日に、外国を旅している友人から絵ハガキが届きました。

その土地の空気が絵ハガキに記憶されていました。

外国からでも今はすぐにメールが出来る世の中ですが、人間の書いた文字が一つの絵ハガキに乗せられて自分のもとに届くという事は、なんとも言えず心地良いものです。

手仕事の原点のような感じがします。




さて、6月も最終の週になります。

来月は、私が企画した 工作ワークショップ があります。

いろんな画材屋さんへ行って、工作に使えそうな画材を集めているのが楽しいです。


友人が画材屋さんで働いているので、面白い画材もいろいろ教えてもらえて、自分が一番工作ワークショップを楽しみにしています(^^)

絵が描けなくても、切ったり貼ったりして、一つの作品を仕上げる事は思いの他、ストレス解消になるものです。


工作に興味のある方は是非体験しに来て下さい。

私は美大で油絵を専攻していましたが、絵を書く事と同じくらい工作が好きな子供でした。

某テレビ局の工作番組を見ては、真似していろいろ作ろうとしていました。


大きな段ボールがある時は、家の居間に自分の家を作ると言い張り、家族の反対をよそに、黙々と作っていました。
夕飯時になり、夕飯も自分で作った家の中で食べると言ったりしました。
でも、三角座りくらいしか出来ない段ボールの家では食事が出来ず、段ボールの家に窓を作り、その窓から食卓のご飯を食べた事もあり、母にものすごく怒られた経験もあります。


大きくなっても、いろいろ自分で作る事が好きなので、三つ子の魂百まで、ですね。





7月28日(日)工作ワークショップ 参加者募集中です
a0249049_1973061.jpg

こんな感じで、切ったり貼ったりして、自分流のノートを作ります。
あーでもない、こーでもないと言いながら作るのはとっても楽しいものです!

集中するのであっと言う間に制作時間が過ぎますが、モノを作ったという手の感覚や記憶は残り、日常生活の中でいろんな事にその感覚を応用出来るのではないかと思います。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-06-23 19:20

怒りの矛先

a0249049_16469.jpg

菩提樹のあるお寺の建物に使われている木はとても木目が綺麗でした。

いろんな人に廊下は踏まれて、それで木目が浮き上がって来たのでしょうか?




今日は 怒り について考えさせられる日でした。

『溜め込まずに怒る時は怒った方が良い』

とはよく言いますが、しょっちゅうイライラして怒っている人もいるものです。



怒りを言いやすい人を選んで、その人が何も言わずただ受けとめてくれるので、思いっきり言葉を投げつけて行きます。

私の両親は、商売人なので、いつも、そんな人がいるとただただ受けとめて頭を下げています。

明らかに理不尽な事を言われてても、自分が感情的になるとさらに相手の怒りが増し違う人にも被害が及ぶので、よく我慢しています。

ま、商売人はそれが当たり前なのだと思いますが、親子というカテゴリーから外して見ても、両親は他の商売人さんより、冷静だなぁとよく思います。


そんな時いつも、

『凄いなぁ・・・』

と思います。



今日も、母に向かって怒りを爆発させていた人がいました。

明らかにこれは八つ当たりだなぁ・・・と聞いていて思いました。


何か自分では出来ない事があり、母はそれが出来る為、母に感情をぶつけているなぁと思いました。





イライラして怒る人は、大抵、別な何かを負担に思っていて、あたる相手とは別件なのに、ごちゃまぜにしているなぁとよく思います。

怒られる程悪い事はしていないのに、いつも冷静な人が受けとめる、という場面をよく見ます。


怒りの原因は、深層心理の中にあるのです。

その問題をほったらかしにしているから、誰かにあたってしまうのだと思います。



人間はみんな出来そこないだから、黒い感情も持っていて当たり前です。

妬み、そねみ、恨みつらみ・・・その黒い感情を呼び起こす核を一人一人が見ないといけないのだと思います。



人が人をコントロールするなんて出来ないものです。

自分の本当の心も知らないのに・・・。



目に見えている他人は、実は自分の姿かもしれません。



生きて行く事は、自分を知る為の旅な気がします。

【自分】というもの、それは極狭い意味での個人的な自分と言う訳ではなく、自我や超自我の役割を知る事に繋がっていると思います。



お寺で座り空気と一体化する事と、日々自分に起きる日常生活は同じな気がしてなりません。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-06-19 01:58

菩提樹と信念

a0249049_23471743.jpg

菩提樹の花です。

ひと房と言うのでしょうか?
一つの茎から枝分かれする花の形は銀河のようです。

あるいは、化学式のようなモノにも見えるし、仏像の真上によくある天蓋のようです。



頭の上から降って来るような菩提樹の花は、ほのかに甘い香りがしました。
(実際、花は終わりかけだったので、風が吹くと頭の上からパラパラと花が落ちて来ました。)

どうしてもこの時期、この花の開花を見たかったので、今日ギリギリで開花に間に合いました。

京都の暑さは半端なく、最寄駅から日傘を差して歩いたのですが、滝のように汗が流れました。

おとなしく家に居たら良かったと、行く道すがら何度も思いました。



でも、お寺に着いて菩提樹に会ったら、

『ああ、来て良かった・・・』

と思っていました。



観光客の人が結構いました。

間違いなく、あの団体は大阪の人のツアーだと解る一行様がいて、

『なんや、樹の側に来たら香りするけど、お寺の線香の香りちゃうんか!菩提樹の香りなんかするか?!』

とおじさまが言ったり、おばさま達数名が菩提樹の歌のワンフレーズを歌い、アハハと笑い合っていました。


もうちょっと静かに樹を眺めてくれ・・・!!と私は心で叫んでいました。



私は樹の側でしばらく休憩していました。

冒頭にも述べましたが、何故か宇宙や銀河を思いました。


宇宙戦艦ヤマトや、銀河の渦巻きとか占星術を思い浮かべました。

心地良いものの側は時空が違うのでしょうか?



私は鐘の音が好きなのですが、その鐘の音の響きにも似た異世界の景色のようなものが樹の周りにあるようでした。


静かに一人で樹の側にいると、本当に落ち着きます。
一家に一本、こんな樹があるといいなぁなんて思いました。





広大な宇宙の中で、自分がこの地球に生まれたのは、何故か?と思いました。

地球に生まれて、日本に生まれて、絵を選んで生まれた事が不思議だなぁと思いました。




土曜日は大学時代の恩師の先生の講演会があり、聞きに行きました。

先生は若い頃、パリに留学していました。

細身で、黒い帽子が似合うやはりパリの土地が似合う先生です。


その先生の講演会にはいろんな人が来ていて、美術関係者や大学の先生たちやその知り合いの方で、会場はいっぱいになっていました。

そんな関係者が居並ぶ所へ、ペーペーの私が居ても良いのかと不安になったし、何故私はこんなスゴイ人達の中に飛び込む破目になったのか・・・?と思いました。


留学経験者、トップアーティスト、大学教授、美術館館長、キュレーター、デザイナーなどなど。

私は、何故、いろいろとややこしい美術を選んで生まれて来たのか・・・?と何度も考えました。


美術であっても、やはり人と比べられたり、人と自分を比較したり、価値観の違いを素直に受けとめられないでいる人が居たりして、有名無名、どこどこ所属、どれだけの実績、など、ドロドロしたモノが渦巻く世界に何故私は入る事を決めて生まれたのか?


と、どんどん気持ちが落ちて来たのですが、先生の講演会を聞くと、その落ち込みが無くなっていました。

それは何故かというと、先生が講演会で話した事は、先生のお知り合いの作家さんの話だったからです。


その作家さんの生き様の話でした。

その作家さんはとても謙虚で、こだわりはとてもあるけれど、一つの信念を生涯貫いた人でした。

訳の解らないワガママ作家が多い中、その作家さんはとても誠実な方だったのだと聞き、私もこんな生き方がしたいなぁと心から思いました。


とても良い講演会だったなぁと思いました。





一つの信念を貫く事はとても難しい事です。

自分の考えを大事にしつつ、他者の考えもはねのけず受け入れた上で、信念を貫く事です。




嫌な出来事も、恋人を受けとめるかの様に抱きしめる、と言った岡本太郎さんのようです。



逃げずに、一度は闘って、負けて泣いても、道は続くのです。
同じような道をまた行くのか・・・と思うかもしれないですが、同じではなく、螺旋状の道で、わずかに上がってはいるのです。

闘わずに、夢みたいな事に憧れていては、一生ループにハマったままでしょう。

ループの状態を開き直れたらいくらかは楽ですが、開き直れない場合は悲劇です。



せっかく、3月11日が教えてくれた事があるのに・・・。

いつ死ぬかも解らない世の中で、傲慢な生活をしていても、やはり何か求めるモノを得て納得して死にたいと思った事を、私は一番大切にしないといけない気がします。




大学の恩師の先生は、講演を終えた後、まだまだ話足りないと仰っていました。





何がしたいか?

誰に会いたいか?

どんな生き方がしたいか?


その気持ちで足が向かう方へ、私は行こうと思います。

a0249049_1272192.jpg





工作ワークショップの募集をしていますので、夏にお時間ございましたら、どうぞお越し下さい。
2013、7、28、(日) 工作ワークショップ
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-06-17 01:42

夏の食べ物

a0249049_13532160.jpg

ゴーヤの季節がやってきました!


夏は大の苦手ですが、このゴーヤが生産されるという所だけは大歓迎です(^^)

上の写真は、オーソドックスなゴーヤの炒め物(喜界島風に言うなら、にがうりいっちゃあしー、です。)
と、ゴーヤの佃煮。

どちらも、もの凄く美味しいのですが、去年から母がハマって作り出したゴーヤの佃煮が驚異的に美味いのです!!!
ゴーヤを島のザラメで炊くので甘さも最高に優しくて、パンやご飯にとても合うのです。

見た目、ゴーヤは完璧に 恐竜 です。
ですが、味はこの世のものとは思えないくらい美味しいのです。

このゴーヤの苦みがダメだという人が結構いますが、この苦みを知らずして何を知る!!といった感じです。

ゴーヤカーテンの下で、ゴーヤの炒め物を食べながら黒糖焼酎を飲みたいものです。





そして明日はまた清掃の日・・・。

ものすごいゴミの臭いと格闘の日だと思うと憂鬱ですが、今日、ゴーヤが島から届いたので百人力です!

大好きな京都のハーブの人の香りも毎日私を助けてくれているので、明日も乗り切ります!!




ワークショップの募集をしていますので、夏にお時間ございましたら、どうぞお越し下さい。
2013、7、28、(日) 工作ワークショップ
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-06-13 14:12

工作ワークショップのご案内

a0249049_15245949.jpg


こんにちは。

今日はいつものブログ記事と違い、私が企画した ワークショップ のお知らせです。

春から企画を温めていて、ようやく来月の7月、 【工作ワークショップ】 をさせて頂く事となりました。


レンタルスペースをお借りして、メモ帳やノートなどを自己流にアレンジする工作です。

その 工作ワークショップ の内容等をお知らせいたします。





************:********************

 
 【工作ワークショップ】
この講座は終了いたしました

 2013年 7月28日 (日)
 
 時間 : 午後1時~3時
 
 参加費 : 2500円

 場所 : 京都・上賀茂神社周辺

 内容 : ノートのカスタマイズ、
       (ノートの表紙を自分流にアレンジ)

 持ち物 : のり 、はさみ

 募集人数 : 10名 3名 予約制
          申し訳ございませんが、女性限定とさせていただきます。
          ですが、親子様でご参加の場合、小学1年生以上の男の子様とお母様ご一緒の場合はご参加頂けます。
          女の子様とお母様ご一緒の場合も、小学1年生以上の学年のお子様の場合、ご参加頂けます。        


        (メールでご予約される際は、お名前・ご住所・電話番号・予約人数をお書き下さい。) 
        (メールでご予約された方にワークショップ開催場所の詳細をお伝えいたします。)
        (募集の定員に達しましたら締め切らせて頂きますので、ブログでお知らせいたします。)

 講師 : matsu-komichi

備考 :   ノートやアレンジに使う道具や素材は私がご用意いたします。
       (ですが、お客様のお気に入りのシールなどの素材を使いたいと思われる方は当日ご持参下さい。)
       ノートは各自 1,2冊 ご用意させて頂きます。
       ミニサイズのペットボトルの お茶 もご用意させて頂きます。
       
       参加費(2500円)の受け渡しは、ワークショップ当日にいたします。

       ワークショップ当日、28日の午前9時現在の時点で、台風などの影響で警報が京都に発令された場合は、私の方からワークショップ中止のご連絡をご予約頂いた皆様にさせて頂きます事を御了承願います。

       

*********************************


以上がワークショップの内容となります。

私が試しに作った作品サンプル例をご覧ください。

a0249049_1755631.jpg

このような何の変哲もないノートが・・・・・



a0249049_1765668.jpg

こんな感じになったりします。


または・・・
a0249049_1781360.jpg

こんな感じに変身します。


表紙の表面は、仕上がった後に透明なカバーでコーティングしますので、汚れにくく、長持ちいたします。



絵が苦手だという方でも、紙を切ったり張ったりして楽しめるようにと考え、幾つかの素材や道具をご用意いたしております。

もの作りの楽しさを感じて頂けるワークショップと成りますよう務めさせて頂きたいと思います。



大人になると、子供の頃にしていた工作などする時間が無いという方も沢山いらっしゃる事と思います。

ですが、なにか手を動かしモノ作りをすると、子供の頃に置き忘れた大事なモノを思い出すかもしれません。




工作ワークショップ、夏の思い出にいかがでしょうか?





[PR]
# by matsu-komichi | 2013-06-10 17:45

水と樹

a0249049_2125917.jpg
a0249049_2125816.jpg
a0249049_213672.jpg



だんだん体調も回復してきて、頭のネジもだんだんしまって来ました。

この間、グループ展が終わった記事を書いたのに、出品した作品を載せていなかったなぁと思いました。



上の写真は3つで一つの油絵作品です。
京都の下賀茂神社の樹をモチーフに描きました。

【水】というテーマのグループ展だったので、水に因んだモノです。

下賀茂神社は小川が流れていて、水の気が多いなぁと思いました。
そこから少しイメージを湧かせて、神社の樹が霧に隠れている様を描きました。

樹なのか、神聖なモノなのか、よく解らないものが霧に隠れている 『霧隠れ』 という作品です。

見える樹は、本当は樹ではなく、神聖なモノの別な姿であったり、神聖なモノの気が霧と成って辺り一面に立ち込めている、といった感じのイメージです。



水は個体、液体、気体と変化するもので、見えないモノとして空気中に漂っている気体は、正に見えない者と同じような気がして、それを作品にしようと思いました。


・・・・・なんでも、見えるものと見えないものとの共存に絡めてしまう所が、自分らしいと言えばそうですが、とにかく、何を描いても何を聞いても、そのテーマに則したものになるのだから不思議です。






さて、次は夏の終わりにある、京都でのグループ展に照準を定めます。

油絵をじっくりと描きたいと思います。


次は書道に因んだものを油絵で表そうと考えています。




それに、秋には大阪のギャラリーでのグループ展があるので、また長期的な決戦の始まりです。



先日、ワールドカップ予選が終わり、男子サッカー日本代表の会見がありました。
その席で、PKを決めた H選手 が言ってました。

『何処にいても出来る事が在る。』

といった感じの厳しい意見でしたが、カッコイイ事を言うなぁと思いました。




いろいろ、また、頑張る後半戦にしたいです。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-06-08 22:05

背負う

a0249049_22405081.jpg

コノテガシワという植物です。


以前、子供の沢山いる職場で、子供が私の所に寄って来て、このコノテガシワの実のようなものを沢山投げて来た事がありました。

子供は私に沢山この実のようなものを投げつけて

『わー!逃げろー!』

と言ったので、私は何故か追いかけたりして遊びました。


子供たちにとっては小さなボール代わりでした。

子供って、自然と遊ぶのが上手だなぁと思いました。






さて、ボールと言えば・・・

a0249049_22483190.jpg


先ほどまで、テレビにかじりついてサッカーの試合を観ていました。

男子サッカーワールドカップ予選です。


私は、特定の好きなサッカー選手がいるわけではないのですが、サッカー日本代表戦は観るというサッカーにわかファンです。

サッカーのルールなんて殆ど知りません。

なのに、ここ数年、サッカーの試合をよく観ます。



何故か?


それは以前ブログにも書いた事なのですが、選手達のプレーを観るのが面白いからです。

選手一人一人の個性が違い、プレーする感じが違うし、間合いの取り方や面白いプレーが生まれるタイミングや、ピンチがあっという間にチャンスになったりするスピード感がたまらなく素敵なのです。

試合をするチーム毎にチームのカラーも違っていて、紳士的なプレーをするチームや、何が何でも点を取りに行くがむしゃらなチームなど、様々です。


観ていると、びっくりする様な展開になったりするので、本当に楽しいのです。

今日も、日本は相手チームに後半戦で得点を入れられ、

『あ~あ・・・』

というムードになっていた所、あともう少しで試合が終わるといったところに日本チームのPKです!

あの、【持ってる男】の H選手 がPKでゴールど真ん中にシュートを決め、そのシュートが決まった瞬間サッカースタジアムに居る人殆どが両手を上げて立ち上がっていました。

私もテレビの前で両方の手を挙げて喜んでいました。

(サッカーが好きでない人はこういう所がうっとおしいかもしれませんが・・・)



あの、緊迫した雰囲気からの見事なシュート。

例えが悪いですが、梱包材のプチプチを何十個も潰してもあんな爽快感は味わえません。


自分がシュートを決めた訳ではないのに、自分がシュートを決めたような感覚になってしまうのだから不思議です。



私は、この日本代表のサッカーが始まる前は、選手になったつもりで観戦するのです。
バカみたいですが、試合が始まる前にご飯やトイレを済まし、身なりを整えて、ベストコンディションで観戦に臨むのです。

そして、サッカーの始まりの音楽がテレビから聴こえてきたら、もう顔つきまで強張って来て心はサムライです。


そんな疑似アスリート(?)体験して観るものだから、ボールがゴールネットを揺らすともう大変です。

でも、私は大声で叫んだりはしません。
長屋住まいなので、小さめの声で地味に感動を表すのです。



サッカー選手の誰が好きとかは無いですが、この日本代表の選手達を観ていると、熱いものが胸に溢れます。


きっと、いろんな人の思いを背負って、シュートを決める人は決めるのだと思います。

本人さんはそんないろんな人の思いなど背負っている意識などはないでしょう。

幼い頃からサッカーが好きで、上手くなりたくてたくさん練習をして、日本を飛び出して苦労をしながらもサッカーに励んで、観ているこちら側からは想像も出来ない程の努力をして、やっとボールがゴールネットに辿り着いた、といった感じでしょう。


ボールが自分の前に来て、そのボールを蹴ると言うのも、簡単にしている様に見えますが、様々なタイミングが重ならないと自分の足元にボールが飛んで来てそれを蹴るなんて無理でしょう。

蹴ったとしても、ボールがゴールネットを揺らす事に成る事も、百発百中ではないのですし。


だからこそ、一つのボールがゴールネットを揺らす事は沢山の人の目を魅了するし、血の滲むような練習をする選手を走らせる力になるのでしょうね。

ゴールが決まるまで、チームのいろんな人の絶妙な守りや攻撃など、パスを順々に得て初めてボールがゴールネットに辿り着くなんて・・・!!(T_T)


そして、戦った後は両チームがお互い握手をして、ゲームを終える。

なんて!!

なんて美しい!!

と毎回思ってしまいます。


スポーツを観ていると、勝ったの負けたの、と大きな問題にして世の中で大人同士がいがみ合っているのがバカらしくなります。





勝っても負けてもお互い握手して健闘をたたえるサッカー選手、かっこいいなぁと思いました。




そして、感動の試合後に、スタジアムの観客席のサポーターが持っている看板を見て笑ってしまいました。


『いつ勝つの? 今、でしょ ?!』

と、某CMのセリフをもじった看板がありました。
(その他にも、ガチャピンの顔に似せた E選手 の看板もあり面白いサポーターさん達だと思いました。)




個人的に好きな選手はいないと何度も言っていますが・・・・・

今日は、【持ってる男】 H選手 、カッコイイ!!と思いました。

久しぶりに男性にホワンとなりました。



また、いろんな人の心のモヤを一掃するようなサッカーを観たいです。

(本当のサッカーファンや、サッカー嫌いな人には、私みたいなにわかファンはバカ野郎と言われるでしょうけど・・・。)

ブラジルでの、ワールドカップが楽しみです。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-06-05 00:24

バラの学校

a0249049_0344210.jpg


頭が空っぽになったので、

『何がしたいか?』

と自分に問うてみたら 【 散歩 】 という答えが返って来たので、バラ園を散歩しました。

a0249049_0365195.jpg

a0249049_0374969.jpg

a0249049_0383975.jpg

a0249049_0391973.jpg

a0249049_040142.jpg

a0249049_041914.jpg

a0249049_0414690.jpg
a0249049_0421010.jpg


バラの花は咲く時よりも蕾の時の方が何故か惹かれます。



蕾と花の王冠のような配置。

彫刻刀で切り出したかのようなライン。

誘う色。

はねのけるシルエット。

連なる灯りのような輪の重なり。



綺麗と形容するだけでは足りない、暗い秘密を隠している所がなんとも言えず、魅力です。



花達は皆、秘密を隠す為に、わざと綺麗な姿をしているかの様に見えます。


花の中には、綺麗な色をしているけれど花弁ではなく、花のガクであったり、葉であったりするものもあります。





戦地に居る男性を想い、口に一輪の花をくわえ、深紅のドレスで踊る女性フラメンコダンサーが居る。

いつ自分のもとに帰るかもわからないその男性を想い、月日が経つけれど想う男性は帰らず、女性の踊る姿に惹かれた人から幾つかの求愛をされるが、女性はその戦地に居る男性をただひたすら想っている。

やがて、女性は踊りも踊れなくなり、花だけは毎年生き生きと咲き、自分の姿を花にたとえるようになり、しわがれた両手は動かない胸の上に組まれて、白い花の中で静かに眠る。


そんなエピソードを記憶しているようなバラの花の姿。




ずっとずっと何年も何十年も何百年も、胸の奥に記憶に残っているモノがあり、あるモノを見た時、ある香りを嗅いだ時、ある音を聴いた時、胸の奥の奥がズキンと何故か痛んだり、ホワンと温もったりします。


何故、奥のモノは記憶を残しているのか?
不思議ですが、上手く思い出せないのに、記憶の断片がうずく時があります。


なかなかその正体がつかめなくてもどかしい思いもします。

『そんなの取っ払ってスッキリしてしまえ!』

と言ってくる人もいれば、

『それは自分の核に触れるものだ』

という人もいます。



何が本当で、誰が真実を言ってくれるのか解らなくて、堂々巡りをしてしまう時もあると思います。

心が求めているのに、頭がセーブする時もあります。



いろんな人やモノに、一輪の花があり、記憶していて、映画の様に何かのきっかけで誰かの意識に入り込む時があります。




もしかしたら、生きている人全てが自分の姿を映して居るのかもしれませんし、見えるもの全てが見えないモノの在りかを証明しているのかもしれません。






な~んて事をバラを見ていて思いました。

まだまだ、断言するには早いですけど、モノを観るという事は勉強になるものです。


一日の中で、観たモノをこうして思い返して、ノートを取る。
(今の場合、ブログ記事にしている事がノートに取る作業にあたります。)


これは私なりの観察という美術の勉強であり、実際にモノを観るという事は百回聴く事より一度の観察の方が勝るのです。


そして、面白い事に、観察する度に、一つずつ、納得行く感覚を掴めるのです。

地味で地道な事ですが、観る事は勉強なのです。




公園が学校の様なものだし、世の中全体が学校のようなものです。
[PR]
# by matsu-komichi | 2013-06-03 02:00


『コミチ ピクトゥーラ』 油絵・写真・音楽・自然観察を楽しみながら日記のようなものを書いています。


by matsu-komichi

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリ

全体
ブログ
写真
音楽
美術
裁縫
料理
未分類

以前の記事

2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月

フォロー中のブログ

Mimosa Garde...
タルラタンタンの銅版画日記☆
二人乗り

注意事項

komichi-pictura ブログの文章、写真、等を無断で使用する事を禁じます。

最新のトラックバック

ライフログ

検索

その他のジャンル

最新の記事

お詫び
at 2013-09-12 17:45
秋の声
at 2013-09-10 21:40
メッセージ
at 2013-09-06 18:55
名残
at 2013-08-28 21:45
もがく事、磨く事
at 2013-08-24 00:04

記事ランキング

ブログジャンル

日々の出来事

画像一覧